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四人八輪

M8/Macro Switar 75mmF1.9
どいた、どいたー。
背後から声が上がったので振り向くと、複数の自転車がこちらの方に向かってきていました。
お神輿のような物体もいっしょにあります。

よく見れば、そのお神輿は4台の自転車に括りつけられています。
重いものを運ぶ素晴らしいアイディアと感心しましたが、よく考えれば、これはかなり危険な状況ではないでしょうか。
ひとりがバランスを失ってよろけたり、スピードが合わなくなったりしただけで全員転倒は免れません。
後ろのふたりはニュートラルにしてハンドルだけ注意すればいいのでしょうが、前方のふたりは速度と方向性の呼吸をぴたりと一致させる必要があります。
市井の人ではなく、雑技団のメンバーだったのかもしれません。

当然、この物体はお神輿ではありません。
すぐ前で停車して何やら準備を始めたので、図々しく話をうかがうことにしました。
何日か前、地元のご婦人が亡くなり、今日、葬儀が行われるのですが、その式典に使われる装具がつぎつぎと運び込まれる最中だったのです。
それらは次々と組み立てられ、日本のモノトーンのイメージとは違う、原色の世界の式典の準備が着々と進められていきます。

きっとこの古い町並みの中を、泣き女をともなって伝統的な葬送の行進が行われるのでしょう。
ぜひ見学したいものですが、午後3時頃になると聞いてこれはあきらめざるを得ません。
夕方のフライトで深圳に戻らないといけないのです。

それにしても葬儀だというのに、悲しみの空気というものが感じられません。
亡くなられたご婦人は85歳の高齢で、大往生で天に召されたとのことで、死んだという事実は別として病気を得たりとか苦しんだとかということがなく、人々は本人には良いことだったと捉えているようでした。

死生観というのはひとつの学問のようで、世界中で多くの人が研究しています。
わたしはまったく無関心でいましたが、異文化を語る上では重要なテーマだとの認識はあります。
言葉の問題がありますし、タブーの領域に踏み込むかもしれないというより大きな問題がありますので、この場ではもちろん今までそんな話をしたことはありませんでした。
今後は、この壁を打ち破る努力が必要かと考えています。

作例の中に杖のおばあさんが写っていますが、姿勢が美しいのと威厳にあふれた表情が印象的で、この前に失礼して数枚撮影させていただいていました。
設営しているところを神妙な顔で見守っていたこのおばあさんは、亡くなったご婦人のお友達だったのかも知れません。
まずは、この方の死生観からだった、と思いました。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2010/12/08 Wed

正宗的刀削麺

M8/Macro Switar 75mmF1.9
平遥は、早くから世界遺産に登録され、雲南省の麗江と並んで中国で最も有名な古い町と言えます。
周囲約6キロを城壁で囲われた中に、明代からの古建築が完璧に近い状態で並んでいます。
これまで訪れた古い村は古鎮と呼ばれますが、一定規模以上の町は古城と言うように、かつての都市は城壁に囲まれていたことをうかがい知れる貴重な場所です。

事前の調査では、その古建築の多くが、ホテル、土産物屋、酒吧(中国式の騒々しいバー)などに改装されているようなので、9月に訪れた湖南省鳳凰古鎮のような喧騒が予想されます。
しかし、11月末の閑散期でそうとうの寒さにもなっているので、騒々しいというほどでもないだろう、むしろ訪問するには好機と考えてあえて出掛けることにしました。

店が開いてしまうと雰囲気が変わってしまいますので、早起きしてうす暗いうちから歩き始めます。
平遥は、朝の早い町のようで、すでにかなりの人が自転車やバイクで通勤している姿を目にします。
恐らくこの日も零下5度くらいなのでしょう、吐く息は真っ白で、いただいた手袋をしていても指先は凍るようでした。

城門で撮った昨日の作例は、わたしがカメラを向けたので笑っているように見えるかも知れませんが、そうではありません。
おじいさんにとっての健康法なのか、なんにもないのに、はっはっはと笑っていたのです。
朝日を思いっきり浴びた白い歯が見事です。

城内の通りで撮った今日の作例も、この町の様子を伝えるようでなかなかにユニークです。
朝一番では馬が食料を引いて配達しているのを見ましたが、こちらはロバでしょうか、いやラバか?
平遥周辺は、観光で栄えていることもあってちょっとした都会ですが、郊外まで出ると馬やロバが労働力になっているのが不思議でない田園風景が広がります。
しかし、世界遺産の街中に動物を引いてやって来ると言うのはあまりに意表をついていて笑いたくなります。

それにしても寒いです。
かなり勢い込んで歩いているので、体は少しポカポカしていますが、手も足も指先の感覚は麻痺していますし、鼻水が滝のように流れて枯れることを知りません。
足も疲れてきたのでどこか休憩したいところですが、あまりに早くから歩き始めたので、オープンしている店が見当たりません。

ホテルへ戻るべきかと思い始めたころ、この馬(ロバ? ラバ??)に遭遇して少しついて歩くと、幸運なことにそば屋さんを見つけることができました。
飛刀削麺と表記してあるので、もちろん刀削麺を注文します。
この刀削麺こそ、山西省の名物、恐らくは発祥の地と呼ばれています。

東京都内にはあちこちに西安刀削麺というレストランがあって、あたかも刀削麺が西安の名物のような誤解を生じているようです。
もちろん西安にも刀削麺屋さんはたくさんありますし、何よりこの西安刀削麺というレストランの料理は美味ですが、やはり中国で刀削麺といえば山西なのです。

強引な比喩を言えば、中国で高知うどんというチェーン店を展開して流行させられれば、中国人はうどんという食べ物は高知の名物だと思うでしょう。
確かに高知の人もうどんをよく食べるかも知れませんが、日本人はすべてうどんは高地じゃなくて香川だ、讃岐だと言うに違いありません。
それが西安刀削麺と山西の関係と言えます。

この話はわたしが気付いたことではなく、日本に住む中国人の友達から聞いた話の受け売りです。
数年前、西安刀削麺で食事した彼女は美味しいと思ったのですが、東京のあちこちに同レストランの視点があるのを見て、このままでは東京の人が刀削麺イコール西安のものという誤解をするのではと危惧していたことを思い出したのです。

当時、わたしは山西省と聞いても中国でも遠い彼方で、そんなとこまで行くことはないだろうと思っていました。
しかし、今回こうして山西省に足を運ぶ機会を得て、刀削麺を食べるに及んで、以前に聞いた話を思い出したという次第です。
旅の間、3回も刀削麺を食べましたが、新宿で食べた西安刀削麺に勝るものがなかったことは、正直に告白しないといけません。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(2) | 2010/12/07 Tue

遥远的

M8/Macro Switar 75mmF1.9
磧口から平遥までの大移動が始まりました。
地図を見るとわずか120キロあまり、しかもうち半分くらいが高速道路です。
2~3時間で着けると踏んでいたのですが…。

まず、この地域の都会である離石までバスで行かなくてはいけませんが、40キロほどに1時間半かかっています。
バスはなるべく乗客を乗せようと、主要な町で15分停車したり、どうしたことか途中の小さな村から来たと思われるバスとすれ違いざま全乗客を受け入れたりして、スピードは考えずに大量輸送手段を目指しているかのようでした。
ずっといらいらさせられ疲れました。
いずれにしても、これで2時間で到着なんて夢は早くもついえました。

そして離石では、意外な事実を知って愕然とすることになります。
バスは、行きとは違う停留所に到着したのでした。
昨日、離石に到着した時、磧口行きのバスはないと言われたのは、その時間になかったわけではなく、単にそのバスターミナルから出ていたわけではないという事実です。
親切を装って、乗り継いで行けるよと別の行き先のバスに案内した親父に騙されていたという訳です。

いまさら泣いても仕方ないので、平遥行きのバスをたずねましたが、朝一本あるきりだと言うことでした。
もしかすると、別の行き先を勧められて乗り換えろと言うかなと思えば、また明日の朝出直してこいとさらりと流すのでこれはどうゆら本当のようです。
磧口の人はみな離石まで行けば平遥行きのバスがあるからと異口同音に説明していました。
バスは確かにあることはありましたが、こんなんでは親切に説明する意味がありません。

結局、もと来た道をなぞるように太原に行くことにしました。
太原から平遥行きのバスを探そうと思ったのと、最悪、夜行列車はありそうだったので、なんとかなるだろうと思ったからです。
次の太原行きのバスを待ちながら、磧口で離石行きのバスを待つ間、太原へ直行するバスが30分早く出て行くのを見送りましたが、あれに乗っていれば今頃は太原に到着していたでしょう。

結局、太原のバスターミナルに着いたのは6時半になっていました。
バスに乗ろうと磧口の橋の脇に着いたのが1時だったので、旅先にあっては貴重な午後の半日をまったく無駄に過ごした気持ちです。

予想はしていましたが、やはりすでに平遥行きのバスは終わっていました。
あとはもう鉄道に期待するしかなく、タクシーで駅に向かい、長い長い当日券窓口の最後尾に並びます。
20分も並んでいたので、電光掲示で次々表示される列車案内の中に10時くらいに平遥方面への列車があることが確認できました。

ようやく自分の順番になりました。
こういうケースではまず、わたしは外国人なので中国語が少しだけしかできないが、優しく対応してください、ということにしています。
延々と続く切符を求める人の列で、販売服務員もいらいらしていることと想像しますが、途中、こういうヘンなヤツが現れると息抜きに思うのか、かなり親切に対応してくれるケースが多いと分かったからです。

いま7時なので、もつと早い平遥行きがあればよかったのですが、残念ながらわたしが見ていた列車がいちばん早いようです。
しかも、チケットには無坐と書かれていて、悲しいことに満席なので立っていろとてうことのようでした。
1時間半程度なので座れないのはどうにかなると思いますが、立錐の余地もないほどだったらどうするかなどと考えると一気に憂鬱になります。

太原から平遥までは100キロありますが、チケットはわずか100円です。
調べると800キロ離れた終点の宝鶏まででもたった1000円。
昨日の太原から離石までのバスが距離は150キロ程度で運賃850円でしたから、鉄路がいかにチープな移動手段かが分かります。
こんなんじゃ、旅行者が列車の指定席を取るのは至難の技ということになりそうです。

ともかく移動手段は確保できたからでしょうか、急にお腹が空いたのを感じて、駅前で食事することにしました。
するとバスのチケットを売る親父と出くわします。
列車の指定席が入手困難なら、ここで長距離バスの商売をするのはいいアイディアです。
どこ行きかと聞くと西安だと言うのでがっかりしていると、どこへ行きたいのか問われ平遥だと答えると8時にバスがあるから着いて来いと歩き出しました。

怪しげな建物に連れて行かれ不安になりましたが、すでに客が10人くらい待っていてウソではなさそうです。
親父が60元というので高すぎるとは思いましたが、ヤツのコミッションも含まれてのことでしょうし、言い値を支払って別の係員からチケットを受け取りました。
闇バスのような存在かとも疑いましたが、チケットにはバス会社が運営する夜行バスで、8時に太原駅前のビルを発車し、翌朝どこそこへ着くと言うようなことがしっかり印刷されています。
本来、その行き先への直行バスですが、その途中の町なら降車できるシステムのようです。

出発まであと30分あるので食事できないかと言うと、スタッフや乗客たちがあそこで食べろと向かいの食堂を教えてくれました。
ここで麺をいただくのですが、店の奥さんとふたりの子どもがたいへんに親切でした。
外国人が店に来たのは初めてだと興奮気味でしたが、日本に対しては崇拝のような気持ちがあるようです。
何か日本のものを見せてくれというので、お金などを見せたりしていると、千円札を売ってくれないかと懇願してきます。
公定レートで交換しましたが、ほんとうは一万円札が欲しかったようです。
娘が美人だったので、彼女に翌日平遥を一日案内してくれれば進呈しようかなどとくだらないことを考えましたが、この家族が日本を崇拝していることを思い出して、くだらないことを言うのはよしにしました。

ほぼ定刻通り出発したバスは、2時間で平遥付近に到着しました。
高速を走らず、一般道を使うので鉄道より遅いようですが、バスは寝台タイプで横になったままで着くので楽なものです。
ただ、わたしの後の親父の足が臭かったのはきつかったですが。

平遥入口の交差点では、トラックがスタンバイしていてわたしと入れ替わるように大量の荷物が積み込まれました。
ここの名物の牛肉だそうです。
バスのスタッフは親切でしたし、雑談もするような仲になっていたので、このトラック運転手に話して平遥の町まで連れて行ってくれるよう掛けあってくれました。
出発の際には、渡れの言葉とともに、平遥のお土産は牛肉にしろよと笑いながら手を振ってくれました。

いかにも実直なお父さんという外観の運転手にトラックに乗せてもらい、ようやくホテルまで行けるかと思ったら、最後の乗り換えが待っていました。
トラックは、平遥の街中に入れないのでと恐縮して、ホテルに電話して町の外れまで迎えに来てくれと指示してくれます。
迎えの車を待っている間、会話をしようと努めますが、あまりに訛りがきつく磧口の人たちと以上に会話が続きません。
お互いに沈黙してしまいますが、そのとき見たこのお父さんの無骨さがこの地の人の典型的な優しさに感じられます。

ほどなくして車がやって来て、ようやくホテルにチェックインできました。
時計を見ると11時過ぎで、磧口を出て10時間が経過しています。
すごく無駄な時間でしたが、振り返ればこの間出合ったすべての人が親切で、単なる移動とは違う、旅をしていたのだとも思えます。
すみません、かなり端折って書いたつもりなのにだいぶ長くなってしまったところが、わたしの旅を象徴しているということなのでしょう。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(1) | 2010/12/06 Mon

美麗的石坡

M8/Macro Switar 75mmF1.9
旅に持ち出すレンズをどう決めているのか気になります。
ここぞの旅なら、いちばん信頼のおけるレンズを持ち出すでしょうし、治安のよろしくないところへ行くのであれば万一の盗難に備えて取り返しのきくレンズになるでしょう。
移動していく旅なら軽い装備になるし、定点的に活動できる旅ならこれをチャンスといろんなレンズを持ち出したくなります。

デジタル一眼レフは重いですが、ズームレンズ一本で済めばトータルでは軽装備になるかも知れません。
レンズに潔い方は、どんなシチュエーションでもレンズ1本というスタイルを貫き通します。
いずれも交換レンズ不要派ですが、シンプルであればあるほど旅も撮影もできる人だとのイメージが高まるのは間違いなさそうです。

それらに反論するのは、どのレンズをその旅に持って行くか悩むのも旅の愉しみ、です。
どのレンズを連れて行くか、どの組み合わせで連れて行くか、そんなことで悩めるのはレンズを蒐集している贅沢の最たるものだと思っています。

わたしは、現地で計画的に撮影するというわけではありません。
美しい風景よりも、現地の人の素朴な笑顔に写欲を感じるタイプなので、こういう使い分けをしようとレンズを持参するより、単に広角・標準・望遠と3種持って行ってシチュエーションで使い分けるのが楽ちんです。
3本にするのは、ライカにはレンズカプラーという便利なレンズキャップがあるからです。
レンズカプラーというのは、両端にレンズを装着できるレンズキャップで、2本のレンズを1つにまとめられるので、カメラバッグの省スペースにたいへん便利です。

さらに具体的に言えば、昨年10月以来、中国へ行く時に50mmF1.5レンズを使うことにしています。
標準レンズが50mmF1.5に固定されるので、それに応じて広角と望遠を選択するようにしているのです。
今回は、まずライツ・クセノン50mmF1.5を使うと決めましたが、このクセノンは甘口の柔らか描写で逆光に弱いレンズですから、望遠はシャープで逆光に強いものをということでマクロ・スイター75mmF1.9が選出されます。
広角は、始めていく土地で風景を摂る可能性もあるので35mmではなく28mmをということで、テッサー28mmF8に決定します。

実際には、もっともっといろいろな要素を比較検討しながら、自分の個性を主張しつつも各種レンズがなるべく均等に使われるよう配慮して決定しているつもりです。
とにかく、前述のとおり、レンズをあれこれ悩むのは愉しみですし、居ながらにして旅が始まっているのだと思うと気持ちも高まって来るのが良いと思っています。
わたしにとっての醍醐味ですね。

さて、次に向かう平遥をめざすために少々早めに磧口を経つことにして李さんの家に戻りました。
黄河に面したメインの通りから家までは、けっこう急な坂を登らないといけません。
慣れた李さんは、するすると上がって行きましたが、その背中を追いつつ、あらためてその坂の美しさに気付きました。

こういう段差も階段と呼ぶのでしょうか。
いえ、おそらく積雪時に下まで滑らないようにつけた段差で、これは階段とは少し違うようです。
この段差部分が真っ直ぐではなく、うねったようになっているのがまず美しく感じます。
そして、レンガ大くらいの大きさの石を敷き詰めた広がりが良いです。
さらには、長年の人の往来で、いい具合に中央の石がすり減っているのが風格を表現するかのようです。

李さんの家の外壁には、歴史的建築物を表すプレートが付けられています。
建物の名前は「天聚隆」です。
18世紀に建てられたこの家は、油屋さんで、石が油で黒ずんでいる具合が当時のこの家や町の繁栄を示していると書かれています。

この油がなんの油かが書かれていません。
近くの河原に、ずっと火がつけられたままの筒が付き出たところがあり、天然ガスを採掘しているのかと思っていましたが、もしかすると石油なのでしょうか。
この疑問は解決できないままに、平遥へ向けてバスに乗り込むことになりました。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(4) | 2010/12/05 Sun

早餐的故事

M8/Macro Switar 75mmF1.9
そろそろお腹がすいてきましたね、と李さんが声をかけてきました。
では、と朝食に行くことにしました。
なんでもここ西湾村の反対岸によいレストランがあるそうで、黄河の支流である小さな川を渡ると言います。
橋はだいぶ手前だったと思えば、大きな石を並べて歩行者用の橋にしていました。
川幅はけっこうありますが、もともと乾いた黄土高原ではこんな橋でも十分に用が足すということなのでしょう。

確かにちょうど対岸あたりに通りがあって、民家が両側に並んでいました。
そのうちの何軒かは雑貨屋やフルーツ屋、レストランになっていましたが、李さんは迷うことなく1軒の新しいレストランに入って行きました。
弟さんが経営する店だと自慢げです。
そのとき、店内の時計が目に入りましたが、ちょうど10時を指していました。
昨日、朝食はいつも10時だと言っていたその通りなので、李さんの時間管理のすばらしさに感心してしまいます。

ここにはメニューがなく、李さんが任せろと注文を入れてくれました。
なんだかずいぶんいっぱい頼んでないかと思えばその通りで、料理4皿に主食の麺、喉も渇いたろとビン入りの梨汁飲料まで2本運ばれてきました。
メニューがないので名称不明ですが、豆腐料理、卵・トマト料理、ブタ肉料理、キノコ料理と具材や調理法はバラエティに富んでいます。

しかし、朝からこんなに食べられるのだろうかと心配になる量です。
案の定ふたりで三分の一程度しか食べられません。
あとから来た麺は、うどんに近い太さでしたが、茹でてあるだけでスープも具材も載っていません。
お好みでトマトペースのソースをかけたり唐辛子や酢、砂糖などを加えて好みの味にしてもいいと言っています。
感覚的には白飯と同じで、おかずを麺の上に載せていっしょに食べるというのがオーソドックスなスタイルのようでした。

おそらく店で手打ちしているのではなく、製麺所のものを湯がいて出しているだけだと思うのですが、腰があってしこしこしており、やはりうどんに似た食べ物でした。
李さんは、お気に入りのキノコの炒め物料理の汁をたっぷりかけてネコまんま風に食べています。

食事中気にしてしまったのは、店の手伝いをしていた十代後半の姉妹で、たぶん店主の娘でしょうから李さんの姪になると思うのですが、これがなかなか可愛いんですね。
わたしたちへの給仕が終わると、テレビを見ながら麺をすすり始めるのですが、その横顔がまた良いのです。
せっかくですから、李さんを通じて親しくなりたいところですが、真面目な李さんはどうだうまいだろうとか言うばかりで、わたしの心を理解するにはついに至りません。

こんなことを書いていると思いだすのが、2年前に訪れた西安のことで、西安では驚くくらいみんながみんな可愛い女性ばかりでした。
それはもちろんわたしの主観ですが、昨年、西安を旅した知り合いがいて感想を聞いたら真っ先に答えたのが、女性がみんなきれいだったということでしたから、やはり事実なのではと確信します。

その西安がある陝西省は、ここ山西省の西隣ですが、残念なことに今回の旅で見た女性は以前の西安に遠く及びません。
なぜだろうと考えてひとつ思い当たるのが、西安は一般にシルクロードの起点と言われることです。
つまり、西域からやって来た違う民族と長く交わることで美人が生まれたという説ですが、気候風土は西安と太原でそれほど大差があるとは思えないので、混血によって美女が生まれる説には一定の信ぴょう性が感じられます。
中国ではそういった謎の解明は行われていないのでしょうか。

ここで閑話休題ですが、朝食を大量にオーダーしてしまった以上、あまり残すのは失礼だし、姉妹をがっかりさせるかもしれないという心配から、限界を超えた量を食べてしまうことになります。
逆に美人姉妹に、この人こんなに食べたのとあきれられたような気がしないでもありません。
いま考えるに、彼女たちも呼んで、こんなに食べられないから、一緒に食べましょうと誘えば良かったのでした。

埋単、と言って回計しますが、料金は500円にも満たないものでした。
梨汁だけでも200円近かったので、これはいくらなんでも安過ぎです。
李さんが連れてきたのでサービスだったのかも知れませんが、大量に残すは、サービスさせてしまうは、姉妹と友だちになれないはで、心残りの食事になってしまいました。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(2) | 2010/12/04 Sat

朋友請我客

M8/Macro Switar 75mmF1.9
そろそろ中国滞在シリーズを終えて、新しい散策の写真でスタートすべきところですが、写真が間に合いませんでした。
中国で新しい知己を得た報告を混じえて、もう1枚深圳のものを出すことにします。

先月も紹介しましたが、深圳には親しくしているカメラの修理屋さんがいます。
順平さんという親しみある名前です。
中国滞在初日にその順平さんのところを訪れると、翌日友人と飯を食べに行くので一緒にどうかと誘ってくれました。
もちろん断る理由はありません。
カメラに通じた中国人ふたりが来るというのが楽しみですし、中国で食事に誘われるといえばご馳走してもらえることを意味しますので、こちらもなかなか魅力的です。

佛山に出掛けた日の夜、遅れ気味に順平さんの店に行くとすでに3人は待っていました。
タクシーに乗って地下鉄国貿駅近くのレストラン街に出て、馴染みの一軒の扉を押し開けます。
しっかり個室が予約してあって、テーブルに付くや自己紹介が始まりました。

林さんは佛山出身ですが、佛山はつまらなかったでしょうとわたしに聞いてきました。
地元の人が言うのですからやはりつまらないところなのでしょう。
台山など周辺の楽しい町を紹介してくれます。
また、3人の中では唯一英語ができて、ときどき会話についていけなくなるわたしに助け船を出してくれました。

普段はM6を使ってスナップしているそうです。
そういえば、むかしドイツに行ったとき、成田で1泊トランジットの機会があって、銀座に行ったことを話してくれました。
また日本に来たがっていて、その時はいっしょにスナップではなく、呑みに行きましょうという話になりました。

もうひとりの王さんは、芸術家的空気を発しているような人でした。
北京出身ですが、深圳はそうとう長いようです。
今は中古カメラ店を市内に持っていますが、カメラに関する著作があり、雑誌の記事なども書いたりしているそうです。

林さんが Pure Chinese と呼ぶ王さんの北京訛りの中国語は、わたしには聞きとりにくいものです。
巻き舌を多用して流麗にしゃべる北京語はフランス語に匹敵する美しい言語と言われますが、そのフランス語が英語と比較してなんとも聞きとりにくいのと同様、南方の普通話に比べて別の言葉に聞こえます。

ビールがヘリコイドオイルのように、会話を滑らかにしたためいろいろな話が出ましたが、わたしが付いていけたのは3~4割というところでしょう。
いちばん印象に残ったのが、日本の調査捕鯨について話題になったことでした。
シーシェパードの存在も知っていて、3人とも全面的に批判していました。
食の伝統を尊ぶということと、中国人自体が食材を選ばず何でも食べる国民性ということがあるからでしょう。
食に関しては一衣帯水というところがけっこうあるのかも知れません。

たのしい会話においしい食事、のはずでしたがひとつだけ不満を述べさせていただきましょう。
そのレストランは、順平さん出身の湖北料理ではなく、林さん出身の広東料理でもなく、王さん出身の北京料理でもなく、ましてやわたしの日本料理ではありません。
なぜか黒竜江省出身の親父さんが経営する、韓国料理の店だったのでした。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(1) | 2010/03/15 Mon

不是看漫画的

M8/Macro Switar 75mmF1.9
画商ないしはギャラリー、画材屋、フレーム屋、アート・カフェ、あとは食堂。
大芬油画村には、こんな店々が集まっています。
数は少ないですが、もうひとつあることを忘れていました。
画集並びに美術書屋さんです。

前述した店はほぼ外からの客向けの店ですが、この美術書屋さんは食堂と同様、大芬油画村で働く人たちのために存在します。
ここで生活する絵描きたちや絵を学ぶ人たちは、書籍の中から画題を選んで模写するという訳です。

もっとも100元も200元もする高価な画集を個人で買うのはたいへんなことです。
模写のためのモチーフは、おとといの写真でも使われているように、どこかから切り抜かれて使用されます。
時にサービス判の写真サイズから模写ということもありますので、その出来は推して知るべしというレベルなことがほとんどです。

画集からインスピレーションを得て、オリジナルの芸術を生み出すというケースが皆無とは言いません。
しかし、ほとんどが模写の域から出ていないことはそれぞれの店に架けられた絵を見ればあきらかです。
絵を求める人がそれを望んでいるという事情もあるでしょう。
大芬油画村が油絵の村であって、芸術村という名前でない理由が見えてくるような気がします。

イラストのような画集を一心に見続ける少女は、まだ小学生にしか見えません。
絵画を勉強しているのか、こんな環境下に育って自然と絵に関心が向くのか、いずれにしても彼女は売らんがための模写をするために見入っているということではなさそうです。
あるいは彼女が、大芬油画村を変えていくのかも知れません。


Macro Switar 75mmF1.9 の開放では、人物スナップでピントを外すことはままあります。
昨日の作例がその典型で、被写体が広がっていてここにピントを合わすという部分があいまいな場合、しばしばやってしまうミスです。
一瞬のピント合わせを求められるようなケースでは止むを得ないということもあります。

しかし、今日の作例のように被写体が動かずこちらも壁の陰にいて気付かれにくい状況では、慎重にピント合わせできるので外してしまう確率はぐっと下がります。
このレンズは、スペックで心配されるよりはるかに楽にピントを出せるレンズです。

被写界深度の余裕ということがあるでしょうし、所謂ピントの良いレンズだからという理由もあると思います。
完璧な精度で調整されたマウント改造という信頼感ということが、何よりも大きいのかも知れません。
女の子の肌が冷たく表現されるのが不満と言えば不満ですが、やはり凄いレンズだというのが偽らざる感想です。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(3) | 2010/03/14 Sun

多少銭1斤?

M8/Macro Switar 75mmF1.9
フレームの確認はできましたので、あらためて写真を撮りたいと気合を入れ直します。
道路で描いているような人はさすがに昨日の作例くらいですが、オープンな場で描いているシーンは何度も見かけます。
でも、同じようなものばかり撮ってもおもしろくはないでしょう。

次に手っ取り早いのがこの辺で遊ぶ子どもたちを撮ることです。
しかし、これもどうしたことか、カメラを見つけると逃げてしまったり、キャーキャー騒ぎ立てたりで撮影に四苦八苦します。
素朴な子どもたちも、毎日やってくるカメラを持った観光客にすれてしまったのでしょうか。

おもしろいものを求め散策を続けます。
なんとなくいいかなと思えたシーンは2題ありました。
ひとつは、南アジア系の色黒で目がギョロギョロしたおっさんが、道の真ん中で椅子に腰掛けて携帯でビジネスのやりとりをしているところ。
もうひとつが、天秤を担いでやってきた野菜売りです。

ピントが悪いのを承知で後者を採用しました。
こんなところで売れるのかと思うが早いか、目の前で商談成立というのにびっくりさせられたからです。
やり取りを見ていると、天秤のお姉さんは毎日行商に来て、大芬油画村での信頼を得ているようでした。
たぶん、午前中は近くの市場で商売して、午後になって行商しているのでしょう。
働き者のお姉さんです。

深圳のような大都会でも、郊外ではこんな中国らしい素朴な生活のシーンが見られます。
それが、大芬油画村という観光化されたエリアで日常的に行われているのを目撃でき、この日いちばんの愉しい体験になりました。


Macro Switar の描写は素晴らしいものですが、ゆるいレンズが好きなわたしにはコントラストが高過ぎと感じられることがあります。
このくらいの半逆光だと、コントラストがほどよく落ちたうえ、中間色がよくのって、やさしい雰囲気が広がるのがいいと思います。

ただ、周辺のボケがずいぶん流れるのは気になるところです。
M8でこんなですから、フルサイズですとぐるぐるしてそうですし、光量落ちも危惧されます。
そこをあえてフィルムでも試してみたいのですが、まだそのチャンスは来ていません。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(2) | 2010/03/13 Sat
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