穿着和服拉小提琴

M8/Switar 50mmF1.4
山手の西洋館では、よくピアノや室内楽のコンサートが開かれます。
洋館の一室を使うので、一度に入れるのは3~40人くらいだと思いますが、先着順で入場無料です。
散策した日は、まさにこのコンサートのある日です。
ksmt さんに相談すると、ふたつ返事でご一緒いただくことになりました。

山下公園から中華街の昼食を経て、猛暑の中ではきつい急坂を登って山手に着きます。
もともとジャズに精通している ksmt さんにクラシックのコンサートに連れ出すためにこんな坂をお付き合いさせる申し訳なさに少し足取りが重くなります。

そういえば、散策の最初のころから ksmt さんは、どうも横浜とは相性が悪くてと言っていました。
横浜市内在住の ksmt さんは、今回のようなみなとみらいコースもしばしば撮影に出掛けるのですが、鎌倉や都内などに比べて成功することが少ないのだそうです。
成功という概念が分かりにくいのですが、撮影結果をまとめて自身のホームページに掲載すると、横浜のものはパッとしないものになってしまうということのようです。
けっしてそんなことはないと思うのですが…。

山手に差しかかると、昨日の虫網の少女と出会います。
それに洋館は一般に無料開放されていて、テーブルに飾られたしゃれた花がいい被写体でしたし、窓越しに見えるフランス式ミニ庭園も絵になる風景です。
大汗かいて坂を登って来た苦労が早くも報われた気がします。

この日は夏の宵のコンサートとして複数の洋館で演奏会が設定されていましたが、わたしたちが選んだのは外交官の家でした。
ヴァイオリンとピアノの二重奏です。
古い洋館は音響が良いはずで、ぜひ弦楽器の響きを聴いてみたいと思っていたからです。

少し写真を撮るのに気を取られすぎていたようで、開演10分前に会場に行くと最前列の席しか空いていません。
その最前列の席につくと目の前には譜面台があります。
狭い会場いっぱいに椅子を並べるため、最前列は立ちあがって手を延ばせばヴァイオリンに手が届くような位置になってしまうようです。

その後も聴衆はやって来て立ち見も出る盛況の中、コンサートは始まりました。
ヴァイオリンの保科由貴さんも、ピアノの張替夏子さんも、美人でびっくりしましたが、浴衣姿で現れたのには二重でびっくりさせられました。
すばらしい演出でしたが、下駄でピアノのペダルは問題ないのか少し気になったのも事実です。

演奏も、すばらしいものでした。
期待した音響は良いとは言えず残響はほとんどありませんでしたが、逆にヴァイオリンのすぐそばで聴いたことで、ダイレクトに音を感じられたことが幸いしました。
もうひとつは、演奏者の表情がすぐ目の前にあることで、真剣なまなざしでフレーズを追う目があったり、音楽の愉しさが顔全体に広がっていたりが、少なくとも最前列のわたしには伝わって来るのでした。

さて、作例ですが、最悪の結果になりました。
これはもちろん演奏中ではなく、終了後に記念撮影していたところでお願いしてヴァイオリンを構えていただいて撮ったものです。
カメラが好きだという保科さんにふたりの機材を注目されて、わたしはすっかり舞い上がってしまい、付けていたレンズを忘れたようです。

隅の方では、流れてしまって美人が台無しになってしまいました。
せっかくリクエストに応えてヴァイオリンを構える際、外してあった肩あてをわざわざ調整しながらつけ直してくれたというのに…。

仕方ないので、ksmt さんのサイトのより好位置で撮影した写真を確認します。
ksmt さんも、この時の写真は思いっきり失敗していました。
横浜では成功しないというジンクスは守られてしまったようです。
【Switar 50mmF1.4 F1.4】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(2) | 2010/07/24 Sat

在紅磚倉庫演奏会

M8/Switar 50mmF1.4
10時半に桜木町駅に集合して、散策スタートすることになっていました。
しかし、ksmt さんもわたしも歳のせいか時間よりだいぶ前に着いてしまっています。
向こうは早く着くなと以心伝心で、自分も合わせてしまうような関係なのかも知れません。
これが、遅刻常習で、どうせあいつも遅れてくるのだからとか考えて、時間にルーズになるケースが諸外国では普通にあることを考えるとわたしたちは日本的なのかも知れません。

駅前の交差点を渡るとすぐに海が見えます。
ランドマークタワーのすぐ傍には日本丸が係留されています。
昨日のカヤックの写真の場所です。
このアクセスの良さは、魅力的です。

そのまま直進してワールドポーターズをやり過ごすと赤レンガ倉庫が見えてきます。
ここまで炎天下を歩きましたので、早くも涼を求めて建物内に入ります。
しばらくして11時になったところで、2階のスペースで開かれているJDAトリエンナーレという美術展を見学しました。
入場無料で冷房の利いた空間での現代アートを見て頭をクールダウンします。

JDAとは、女子美術大学デザイン科アソシエーションのことだそうで、絵画系の展示を期待していたのですが、デザイン系というか造形的なものもあってバラエティに富んでいます。
ベトナムの多くの少数民族を訪れて、それを絵本のように編集している展示かあってわたしは惹かれました。
ksmt さんは、源氏物語に範をとった日本画の美しさにうたれていたようです。
意外に美術にも造詣が深い人だと判明しました。

30分ほどで外に出ました。
赤レンガ倉庫の2つの棟の間で朝からライブが行われています。
このスペースはまつたく影ができませんので、強い日差しの中での演奏でこれはたいへんです。
熱心な聴衆も10名ほどいましたが、彼らも日差しを遮るものがない中で聴いていて、パフォーマーとオーディエンス双方が厳しい環境に置かれ独特の緊張感が漂っていると言えるかも知れません。
ウッドストックのような野外ライブ会場なら水着だったり上半身裸で踊りながら聴いたりもできるのでしょうが、上品な赤レンガ倉庫前でそんなことをしたら警備員が飛んできそうです。

脚の長いヴォーカリストのスタイルを強調するため、真横から狙ってみたのが今日の作例です。
スイター50mmF1.4は、周囲がすごく流れるので、演奏者の激しい動きを演出できます。
よく見ると赤レンガ倉庫が少し反っています。
これは熱波によるものではなく、糸巻型の歪曲が出ただけだと思います。
【Switar 50mmF1.4 F1.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(0) | 2010/07/19 Mon

因為梅雨結束

M8/Switar 50mmF1.4
関東を含めた広い範囲で土曜に待望の梅雨が明けました。
以後は暑い日が続くようです。
予報を見ると、館林、熊谷という猛暑で知られる町はもちろん、東京都心なとでも35℃前後の最高気温が予想されています。

そんな日曜日、横浜のみなとみらい地区から海沿いに山手まで行ってまた戻って来るルートで散策してきました。
鎌倉に行くか少し悩んだのですが、結果的にこのルートは正解だったようです。
強い日差しこそほとんど避けられませんでしたが、海の近くをずっと歩いたことで強い浜風をずっと受けて歩いていましたので、実際の気温より体感的には少し涼しく感じられたと思われたからです。

今回は頼もしい相棒の ksmt さんと一緒でした。
涼しいとは言え、夕方にはふたりして酔っ払ったような赤ら顔になっていました。
そして、いま自宅でキーボードを叩く手も日焼けでひりひりしている状態です。

夏休みに入ったからでしょう、横浜ではいろいろなイベントが開催されていました。
暑さで被写体に乏しいこの時期ですので、いくつも開催されていたイベントの様子を中心に、されどけっしてレポートにはならない、散歩のついでに目にしたもの程度に紹介していくことにしたいと思います。

桜木町駅から歩き始めたクソ暑い中で、清涼感を思わせるものがいきなり現れました。
シーカヤックの連隊です。
水面すれすれに漕いでいく姿は、実際のことは分かりませんが、いかにも涼しげです。
暑くなれば、海水を頭からかぶってもいいでしょうし、わざとらしく"沈"するのも良さ気です。

ひとり乗りがほとんどの中で、複座式のものが通りかかったので、ランドマークタワーを背景に、船つながりの日本丸も取り入れて撮影してみます。
海のどんより暗い色に対する黄色は映えますし、絵全体の中でもうるさくならない中で強調されていて良い感じです。

作例も、周辺の流れを強い風ととらえていただければ、モチーフとも相まって清涼感がお届けできるのではと思い、いちばん最初にシャッターを切ったこの1枚からスタートさせていただきます。
できることなら、この横浜シリーズは順風満帆に進められると嬉しいですね。
【Switar 50mmF1.4 F1.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(0) | 2010/07/18 Sun

黔東南~⑭他告訴

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
なんにもすることなく、滞在時間が過ぎ去りました。
今日、この村を発ちます。
部屋に戻ってパッキングしますが、旅の間に増えた荷物は途中譲っていただいた侗族の服だけですから、簡単に準備は終わります。
むしろ、写真を何枚か撮った分SDカードの残量が減っていたので、旅の間の荷物は増減ゼロというところでしょうか。

スーツケースを提げて階下に降りると、庭で談笑していた家族のみんながこっちを見ますが、遠巻きに見るだけで何も言いません。
こちらから切り出すより仕方ありません。
お世話になりましたが、今日、帰らなくてはなりません。皆さんありがとう。
それでも、誰からも言葉はなし。
そうでした、彼らには、ありがとう、さよなら、という言葉はなかったのでした。

家の主人である医師の呉先生のもとに行き、別れを告げ、宿代の支払いをしようとしますが、彼は、不要、と答えます。
部屋だけでなく、食事もいっぱい出してもらい、ガイドもしてもらいました。少しですが受け取ってください。
不用、不用(中国語では、このケースでは「不要」ではなく「不用」が正しい)。
そんなこと言わずに。では、このお金を紅輝たち子供の教育費の一部にあててください。
わかった。では受け取りましょう。

彼らは遠慮して要らないと言ったのではないと思います。
旅の人を泊めてあげて、食事を振舞うのは当然のこと。
恐らくそれが彼らの伝統的習慣なのでしょう。
では、旅人がすべき当然のこととはなんでしょうか。
わたしには分かりませんでした。

村から从江の町まではバイクに乗せてもらって帰るつもりでしたが、何と誰も運転できないといいます。
置いてあるバイクは、いま出稼ぎに出ている男たちのもので、バイクはあっても運転手がいません。
困りました。
さすがにガイドブックにならって徒歩とか舟とか言っていては、今日のうちに凱里に戻ることは不可能です。
思い出しました。
タクシー運転手の彭クンが困ったときは電話をくれと言っていたではないか。
さっそく電話を借りるとふたつ返事で来てくれるといいます。
いや、彼が困ったときは電話くれと言ったのは人助けではなく、帰りの足に自分を呼んで欲しいと考えていただけかとも思いなおしましたが。

さて、タクシーが来るまで、1時間待たなくてはいけません。
そこへ、目を疑うような人物が歩いてきました。
麻生太郎です。
キセルをくわえて口のはしが上に持ち上がっているところまでがそっくりです。
これは、写真を撮らせてもらわないと。
お願いして、1枚ポーズをとってもらいました。
あれ、今こうしてみると、さほど似てないですか。

まあいいです。
この時ふと、思い立ったことがあります。
そうだ、家族みんなの写真を撮ろう、それに手紙を添えて送ってあげよう。
古典的手法ですが、その時思いついた旅人がすべきこととは、その恩を返す手段をその人なりに考えることだと思いました。
写真を送ることが恩を返すことではなく、恩を忘れず礼を尽くすことで、手紙を書き、彼らのことに関心ある人に紹介し、いつまでも忘れない。
それで好いのではないか、そんな風に考えてみました。

その意思を伝えると、みんな喜んでくれたようです。
すぐにも撮りたかったのですが、普段着から民族衣装に着替える人あり、化粧する人あり、弟を探してくると消える人あり、で大騒ぎになり、ちょうど何枚かの写真の撮影が終わる頃、タクシーの警笛が聞こえてきました。
いよいよ、この家族と村ともお別れです。

もう言うまでもありませんが、今度も彼らには、さよならは言いませんでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(7) | 2008/10/18 Sat

黔東南~⑬地与時

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
侗族の村を象徴する建造物が2つあります。
1つは風雨橋。
橋に瓦屋根があり、美しく装飾されています。
しばしば両端がずっと長椅子になっていて、村人にはおしゃべりの場になり、村の外に仕事に出掛けて戻るときのしばしの休憩の場になります。
前日の写真を見れば一目瞭然、この村の川はほんの小川で、川幅は数メートルしかなく、残念ながら板をわたした程度の橋があるだけです。
この旅ではついに風雨橋を見ることはありませんでした。

もう1つが鼓楼ですが、こちらは旅のあいだ何回か見る機会がありました。
というよりは、侗族のすべての村に存在するものなのかもしれません。
最上楼に鼓があって、何かあればそれを叩いて村人を集めたため鼓楼という名前があるようです。
形状は"楼"というより"塔"と言ったほうがいいような高さがあり、侗族建築の特徴である釘を使わない木組みだけで、頑丈で美しいシルエットを描き出します。

鼓楼の周囲は広場になっていて、村人が全員集合できるようになっています。
侗族を紹介する写真には、よく鼓楼を取り囲んで男女が踊る祭のシーンを見ることができますが、なるほど鼓楼が村の中心になっていて、村人の心のよりどころともなっている様子が分かるようです。
自ずと鼓楼はより高くなったでしょうし、装飾的になり、洗練度も増していったでしょう。
この村の鼓楼こそ景色に溶け込んだ美しいものですが、他の村では高すぎたり、モノトーンの村の中で色使いが派手すぎたりと、浮いた存在になっている鼓楼も見かけたのは少し残念でした。

わらを運んだり、鍬を持ったり歩いている村人がいますが、実は各家庭にはオートバイが普及しています。
町までは20キロもあるので歩いていてはたいへんです。
悪路ですがオートバイは村人の足になっているところもあるようです。
数日前の村の全景写真では白い丸があちこちに見られます。
これはテレビアンテナで、これまた各家庭にテレビが普及していることが分かります。
例えば旅行時に乳児用のミルクで赤ちゃんが亡くなる事件が問題になっていましたが、新聞もインターネットもない村では、テレビを見なければ誰も知ることができないのです。
ただ、テレビを付ければ都会の様子も外国ドラマも自由に見ることができますので、子供たちへの影響とか気にならないわけではありません。
あともうひとつですが、村ではかなりの割合で携帯電話が持たれているようでした。
これも緊急連絡など便利アイテムですが、狭いエリアの中で生きている彼らにどれだけ必要性があるのか不思議な気がしました。

一方で、腕時計をしている人は見ませんでした。
聞いてみると、時間は感覚的にとらえていて、畑仕事は太陽の位置で決まりますし、お腹が空くのは毎日同じような時間なのでそのときみんなで食事するのだそうです。
地球の自転を割り算していった概念よりも、自然の流れと体内時計にしたがって生きる彼らの生活を尊重したいです。
そんな感覚的時間生活をしていても、いえずっとしているからこそかも知れませんが、写真のふたりは田んぼの帰り、ほとんど毎日同じような場所で、こうやって出会っているのでしょう。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(6) | 2008/10/17 Fri

黔東南~⑫晩飯前

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
わたしのお世話になった家の、家族関係はたいへん複雑です。
家計図でも書いてもらわなくては理解できそうもありませんが、あまり深く考えることはせず、適当にお付き合いしました。
家族中で最初に目に留まるのが、4歳の可愛らしい女の子で、一家のアイドル的存在です。
この子がいつもなついていて母親だと思っていたのは、世話になった紅輝クンのお母さんでした。
では本当のお母さんはと聞くと、20代前半のこれまた可愛いちょっと気になっていた女性で、なるほどと思いつつも、ちょっとがっかりでした。
ではその旦那はあのおじさんかと問えば笑われ、あれはおじいさん、旦那さんはいま、町に出稼ぎに行っているとのこと。

かなり若いおじいさんは、わたしの部屋の真下でこそこそ何かやってるな、お客さんが頻繁に来るなと思っていたら、実は村唯一のお医者さんだったのでした。
診察するところを覗かせてもらいましたが、白衣こそ着ていないものの、聴診器に触診と日本の農村医療と診察風景は変わらないように思いました。
もし再訪の機会があれば、血圧計とか自動体温計とか、ちょっとした医療器具を持参すると村の長寿に貢献できるかもしれません。

朝と夕刻は団欒タイムになります。
3つの家の間がちょっとした庭になっていて、三々五々という感じで、各家の家族が集まって談笑します。
すごく和やかな空気が生まれ、いま思えば、ああいう時の表情を撮影すれば、好い写真になっただろうなと感じます。
到着した初日こそパカスカ写真を撮っていましたが、翌日になるともう写真なんてどうでもいいやという気持ちになってしまい、カメラバッグをどこへ置いたかも忘れる始末です。

談笑している中でいちばん困ったのが、蚊の存在でした。
この地方のみなのか、始めて見る、見えない蚊です。
何しろ小さいのです。
サンダル履きだったので、足をさんざんやられましたが、シャーペンの芯の先っぽというサイズで、ほとんど0.5ミリ以下。
わたしの視力では足にとまっていても、まったく気付くことができません。
そして、これがおそろしくかゆい。
かきむしりましたから、2週間経った今でも跡がくっきり残っています。

話の合間には果物をかじったり、枝豆のような豆をつまんだりします。
この豆がなかなかいけます。
この地方の豆腐は、この豆を使うと聞きましたが、肝心の豆の名前が思い出せません。
そういえば、滞在中は農作業を手伝ったり、レンズで生活のすべてを記録したいなどとの意気込みが少しはあったはずですが、そのいずれも実行されませんでした。
こういったことが、文化人類学者にも写真家にもなれない凡庸な旅人の限界を示しています。

夕方、ここに置いたんだっけと、トイレ脇にカメラバッグを見つけ、家の前で撮ったのが上の写真です。
スイターは、隅々まできっちり写ると聞いていたのですが、わたしのは周辺が大暴れします。
例の同心円状のボケではなく、放射状に流れるタイプで、これは平面性が保てなかったフィルムのようで、いまひとつ好きになれません。
R-D1の小さな液晶画面でもそれが分かります。
なんだかどうでもよくなって、家族の庭に戻ることにしました。

このわずかの時間に庭のメンバーが増えていました。
何か深刻な話し合いがもたれていたような気配を感じ、少し緊張します。
今まで見たり見なかったりで印象が薄かった女性が言いました。
今日はわたしの家で食事しましょう。
もし誤解でなければ、深刻な話し合いは、今夜あいつの夕食をどこの家で食べてもらうかということだったようです。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(16) | 2008/10/16 Thu

黔東南~⑪厳検査

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
この村には2泊3日滞在しました。
部屋を借りた家と隣接するもうふたつの家も、兄弟の家で近しく、この3つの家族にお世話になりました。

到着した日の夜、早速、大人たちに促されて少女が4人歓迎の歌を披露してくれました。
澄んだ歌声が冷たい夜空に響き渡り、聖堂で歌われる宗教曲のようでした。

食事はおまかせでしたが、家族間の連携がイマイチで、朝食と夕食を2回ずつ摂った日がありました。
食べ終わったところで、おーい一緒にご飯食べようと声をかけられるのですが、もう食べちゃったと断ってもいいからいいからと輪に入るよう背中を押されるのです。
親戚家族でも隣に来ると少し雰囲気が違うのが面白く、遠慮もなしに再びいただくことになったのでした。

当然、家族が揃ってみんなで食べます。
低い丸テーブルに器がずらっと並べられ、全員がそれを囲むように銭湯にあるような低い椅子に腰掛けます。
箸は使います。
ただし、おかずには箸を使いますが、ご飯はボールから手にとって少しこねて口に入れるという食べ方です。
普通に炊いた米では手がねばねばですが、硬めに蒸しているような状態の米は手でちょっとこねるといい感じに丸まって、ご飯とは少し違う食感の食べ物に変化します。
インドやタイでは右手を使いますが(理由はあえて書きません)、ここでは右手箸を持つので、ご飯は左手で食べます。

おかずは肉と野菜がふんだんに使われます。
スーパーなどはないので、肉も野菜もすべて自家製です。
野菜はそれほど種類は多くなさそうでしたが、たとえばかぼちゃなどを食べると、日本のそれがだいぶ洗練されて感じるほど、素朴な味わいです。
肉は、家の周りにいる家畜がすべてそうだと思えばよいでしょう。
牛は食べないらしいのですが、ブタ、トリ、カモ、アヒルがいて、ペットだと思っていたイヌも食卓に出てきたときはいささかのショックを感じました。
彼らは大好きだと言ってましたが、少し大味に感じられます。
韓国料理でスパイシーな鍋で食べるイヌ肉は美味ですが、水煮のようなイヌ肉はじゃれついてきた彼らの記憶とも相俟って、どうもわたしには苦手です。

中国ではわざと多めに調理して、あまったものはばんばん捨てるのが普通というイメージがありますが、ここでは余りものは大切にしまわれ、次の食事に活用されます。
食べ物はたいへん大切にされていることが分かりました。

もうひとつ、侗族で、特に女性に大切にされているのが、自分たちの衣服作りです。
いわゆる藍染めですが、一般にイメージされる柔らかい布ではなく、固めの生地を使って光沢のある服を作ります。
藍染めのやり方は見ていてすぐ分かりました。
藍を搾って液体にした原料の入った樽に生地を1昼夜つけ込み、川でよく洗います。
1日ベランダに干して水分をとばしてから、畳んで今度は火で数時間いぶします。
それで藍が生地に固着され、あとは縫製するばかりです。
2日で縫製は仕上がるということでしたので、もっと早く気付けばオーダーしたのですが、残念ながら間に合わないので、今度来たときにはすぐに作ってあげるからねと言ってもらいました。
その機会は訪れることやら。

写真は隣の家のおばあさんが、藍の色合いをチェックしているところです。
満足気な表情に見えますね。

そしてレンズは昨日と同じ Switar 50mmF1.4 です。
16mmシネ用のレンズですが、チャーリーさんからこのレンズの素晴らしさを教えられ、そのチャーリーさんの好意で価格が上昇する前に入手して、改造は宮崎さんに依頼したものです。
普段はNDフィルターを使ってまでも開放のみで撮影するようにしていますが、このレンズについてはその宮崎さんから、ぜひ F1.7 も試して欲しい、開放からわずかに絞ることで劇的に描写が変わるはずだからと薦められて試してみたのでした。
そして実際にその変化を見ると目覚しいものがあります。
絞っているので当然ですが、その先鋭さは息を飲むほどですし、前後のボケの美しさや木、布地の質感描写は完璧といえるものです。
階調もすごく出ています。モノクロでも力を発揮するレンズのはずです。
開放では暴れまくる扱いにくいレンズですが、この1枚だけでも、アメリカ発船橋経由貴州行きの長旅をさせただけの甲斐があったと思わせるに十分です。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(7) | 2008/10/15 Wed

黔東南~⑩小朋友

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
从江からの悪路を村まで運んでくれたタクシーの運転手、彭クンは弱冠20歳。
侗族ではなく、苗族なのだそうで離れた村から从江の町に出てきて、タクシー運転手としてひとり立ちしたんだと言います。
長い1時間の悪路は、互いの質問で盛り上がりました。
彼の話では、苗族も侗族も漢族も日本人も、顔だけ比較すれば区別はつかないが、服装や話し言葉を聞けば違いが分かるそうです。
しかし、話はもっぱら彼が聞く日本の話題が中心で、なにしろテレビで見たことがあるだけの外国人を初めて見たばかりか自分の隣に座っているのですから、聞きたいことは山ほどあるという勢いです。
それは好奇心ではなく、向学心です。
内容は、生活から経済、経済から政治、政治から歴史、歴史から国際問題と次々と変化し、もはやわたしの語学力の限界を超え、分からないを繰り返す聞き役に成り下がってしまったことが彼には申し訳なくてなりません。

そんな期待はずれのわたしに、彭クンは最後まで親切でした。
村へ着くやそばにいた住民に、この旅の人を泊めてやってくださいと、宿探しを手伝ってくれたのです。
そして、万一何か問題でもあればここへ電話してくれと携帯の番号を渡して立ち去りました。
今度は、話し相手もなく、1時間の悪路をひとりもとの町へ戻るために。

人づてに部屋を誰が貸すかなど話されたようで、あっという間に、ここへ泊まってくれと部屋を案内されました。
こんな山奥にホテルも民宿もありません。
いよいよ、当初の念願だった、伝統的な古民家に宿泊しての生活を体験します。

断られる可能性も高く、宿探しがいちばん心配だったのですが、案外あっさりと宿泊が決まって村に受け入れられたように感じました。
彭クンが骨を折ってくれたのも一因ですが、思わぬところから受け入れられることになったのではと実感しました。
それはふたつあって、ひとつが先の車江の村で中学教師の家族に譲っていただいた侗族の衣装を着ていたことで、われわれの服を着たおかしな外国人が突然現れたという、ユニークさが受けたという理由。
もうひとつが、これも車江の村で少女達に教えてもらっていた、「ニャーライ」というあいさつ言葉を連発したことで、特に普通話を解さない高齢者に好評だったようです。
すごく幸運に、この村まで導かれたような不思議な気がします。

到着時はすでに夕方でしたが、ちょうど米の収穫時期だったため一部女性陣と子供たちを除いて家には人気がありません。
退屈するのを心配したのでしょう、一家の愛すべき腕白坊主、紅輝クンが村を案内してくれました。
ちっちゃい村なのですくに歩きつくし、山に登って棚田を見下ろして気分もほぐれてきます。

行く先々では、出会った人とあいさつを交わしましたが、すでに日本人が村にやって来たという情報は伝播していたようです。
おお、こいつがそうか、よろしくなとか、あらやだ、外国人といってもわたしたちとそんなに変わらないじゃないとか、そんな反応が待っていたので。
今思うと、紅輝クンは、わたしを案内すると同時にみんなに対してあいさつ廻りさせてくれたのかもしれません。

彼はこの後も、わたしのためにずっと世話を焼いてくれ、すぐに友達のような親しみを感じました。
気の効くいい少年です。
翌日聞くと、父親が長く町に出稼ぎに行っていて、この国慶節休暇にも戻って来ないといいます。
わたしを父親の姿と重ね合わせたのでしょうか。
非常に強く切なさを感じずにいられませんでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/14 Tue
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