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異教徒の祈り

Summicron 5cmF2
イェレーパゴダが信仰を集めていることよりも、尼僧の托鉢の長い列にチャウタンの町が仏教の聖地なのだという印象を受けました。
パゴダを訪れる多くの人が現地にお金を落とし、そのうちの一部が僧侶に喜捨され、僧侶がまた集まり権威を高めて訪れる人が増えるという循環があるということでしょう。
町のすみずみまでに根付いた仏教の痕跡を感じられるよう散策しようと歩きはじめます。

しかし、わたしは方向を間違えてしまいました、
ほどなくして、ウェルカムと書かれた建物を覗いているとどうぞと声を掛けられて中に入ってみます。
外観はコンクリートでしたが、中は宗教施設とすぐに分かる建物です。
ヒンドゥー寺院だということでした。
案内に従って内部をひととおり見て廻ると、ヒンドゥーの神々と思われる像が置かれていましたが、中に仏陀と思しき座像もあります。
敢えて聞きませんでしたが、仏陀もヒンドゥー教の有力な修行者のひとりだと聞きますので、場所柄この像を設置しているのでしょう。

案内してくれた少女と妹は援護堪能ですが、彼女の両親はまったくしゃべることができないそうです。
おじいさん、おばあさん、親戚数名のファミリーでこの寺院を守っているとのことで、さすがにビンディーはこの町には多くないとのことです。
ヤンゴンで、2ヶ所のヒンドゥー寺院を見たと言いましたが、彼女たちはあまり関心がなさそうでした。
宗派の違いがあるのか、そのことには触れようとしませんでした。

時間があれば、よろしければお祈りをするので参加してくださいと勧められました。
土曜日は聖なる日で、毎週祭礼を行うとのことです。
異教徒の参加も認められているようですが、イェレーパゴダにも西洋人が訪れているし、わたしはキリスト教やイスラム教の礼拝を見学したことがあります。
ただ実際に参列するのは初めてですし、何か粗相が無いように少々緊張気味に彼らの指示に従いました。
聖職者も親戚とのことですが、上半身に衣服をまとわない髭と胸毛がボーボーの40代と見られる男性でした。
彼は、わたしが列の中間に位置しているのを認めても、顔色一つ変えるでもなく粛々と儀式を進めて行きました。

それらの意味はわたしに理解できたわけではありませんが、自然への感謝でしょうか、まず戸外にあった池の魚、庭の鳥などにお祈りを捧げながらみんなでエサを投げ入れます。
建物の中に戻ると、中央に祠のようなものがあってそこが祭壇で、清められた水や花、食べ物などを手渡ししながら捧げていきます。
そのとき聖者から少量の水を頭に振りかけられますが、これでわたしを含めた参列者は清められたということでしょうか。
最後に寺院の右側にあった9体の小さな像に対して、全員がその周囲をまわりながら、水や花を捧げて歩きました。
ヒンドゥーはヴィシュヌとかシヴァなどの神々を祀る多神教とは知っていましたが、ここでは9つの神を信仰しているということでしょうか。
これらの儀式の間、少女たちが一心に歌を歌い続けていましたが、あるいきこれがヒンドゥーの経典なのかも知れません。
澄んだ高い声が寺院に静かに響いてたいへんな美しさでした。

祭礼は2時間もかかり、終了後、彼らがヤンゴンへの直行バスの乗り場まで案内してくれました。
しかし、われわれが去るのと入れ替わりで、子どもたちが集まってきて、机の前に行儀よく座って勉強が始まりました。
ヒンドゥー語とヒンドゥー教を子どもたちに教えているのだそうです。
非常に細々としたかたちでヒンドゥーの火を絶やさない努力が続けられていることを知りました。
ヤンゴンの郊外の仏教の聖地で、意外な人々の生活があることも知って小さな旅を閉じることができました。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(2) | 2015/01/23 Fri

笑顔を失った少女たち

Summicron 5cmF2
昼下がりのビールに、今夜の便で帰国との思いが去来して、すっかりアンニュイな気分に浸っていました。
しかし、外の気配に何となく顔を上げたとき、その気分は一瞬にして打ち破られました。
何だあれは、と慌てて会計を済ませて現場に走ります。
ピンクの袈裟を着た尼僧がざっと30人、オレンジの唐笠を差して一列に行進しています。
托鉢でした。

昨年末にルアンプラバンを訪れたときに僧侶が一列になって托鉢するのを見ましたが、それは観光名物にもなっていて
観光客が施しする姿が普通で見られました。
ヤンゴンやバンコクで見た托鉢は単独で、早朝に行われていました。
その他の地域ではどのように行われるのか、あるいは行われないのかすらよく分かりません。
チャウタンは小さな町でイェレーパゴダ詣でに来る人は多いものの、一般的な観光客が訪れるところではありませんので、観光目的な托鉢ではなさそうですし、実際、この様子に興奮して見入っているのはわたしだけで、実際に施しする人を除けば、尼僧の列に関心を払う人は皆無でした。

尼僧は身長の高い順番に、あるいは年齢順に、もしくは階層順に並んでいて、先頭は高校生くらいに見える尼僧から最後尾は年端もいかない子供までその並び方はなかなかに壮観です。
みんなが若いので、もしかしたら僧侶のための学校なのかも知れませんし、あるいは両親を失ったか経済的な理由で出家した若い人たちの施設と言うことも考えられます。
というのは、ルアンプラバンでは厳粛な空気が流れているのを体感したのですが、彼女たちからは悲壮感のようなものが感じられたような気がしたのです。
笑いかけても固まったままで、笑顔が返ってくることはありませんでした。

イェレーパゴダを大きく凌ぐ衝撃でしたが、どうも酔いが頭を支配してしまっているようで体がついていかないというか撮影がうまくいきません。
正面から、真横から、ひとりをピックアップ…、いろいろと試そうとしますが、どれもうまくいかず、もたもたしているうちに町はずれに尼僧の列は去ってしまいました。
こんなところも観光とは無縁の托鉢だということを裏付けているようです。

残念だったのは喜捨している人がほとんどいなかったことです。
わたしの見た範囲では、お米を分け与えている女性と作例のバナナの女性だけでした。
この町には通りに2ヶ所バナナ屋さんがあるのがバスから見えていて、売り物がバナナだけで商売になるものかと気になっていたのですが、こうして喜捨している姿にちょっと胸を打たれました。
分かりにくいですが、彼女の後ろリアル緑のバナナは、幹と言うか枝と言うか食べない部分までスパッと切って持ち込まれていて、食用ではなく結婚式とか葬式とかに使うお供え物的なものなのかという気がしました。
さすがに与えていたのは黄色い熟したバナナだけです。

近くに修道院のような施設があって付いて行けば修行する姿が見学できるかも知れないと期待しましたが、言葉が通じないですし、撮影中ニコリともしない雰囲気では厚かましすぎるような気がします。
何よりビール2杯飲んで酩酊とは言いませんが、かなり好い気分でいることは間違いないので、あきらめました。
普通に散策してからヤンゴンに戻ればよいでしょう。
そう散策開始したのですが、何と歩いているうちに彼女たちとは似て非なるところに行きついてしまい、まったく違う方向の体験をすることになってしまうのでした。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(5) | 2015/01/22 Thu

こんな苦いの僕は嫌いだけど

Summicron 5cmF2
腹八分目のランチとじりじりと照らす太陽、こうなっては安くておいしいミャンマービールを飲まずにいられません。
わたしは栓抜きとコルクスクリューがセットになったツールを旅には必ず持参していますので、瓶ビールを買って川べりで飲んで昼寝をしてもいいかなと考えていました。
ビールを売る店を探そうと歩き始めたところ、それより先にビールを飲んでいるおじさんがいるオープンなレストランを見つけてしまったのが、ここに落ち着くことにしました。

ビールを頼むとグラスかボトルかと聞かれました。
意味がよく分からず、何となくグラスと答えましたが、これが正解でした。
日本でなら、ナマですか大瓶ですかと聞いているのと同じ意味で、グラスのビールを注ぐために店の少年がカウンターにあるサーバーでビールを注ぎ始めるのが見えました。
注視してみると、しっかりグラスを傾けて泡を抑えながら徐々に角度を戻し最後には2センチ幅ほどの泡の層をつくってから、わたしのもとに運んでくれます。

後から来たお客さんたちがボトルを頼んだのが意外でしたが、少年が大瓶を持ってテーブルに近付くと、客のひとりがそれじゃないとばかり指示しています。
そして注ぎはじめたのが作例のピッチャーでした。
思わず近づいて行って撮影させてもらったのですが、くだんの客や他の店員などにはやしたてられた少年が照れまくっています。
少年がビールを注ぐ姿も面白かったのですが、この店のビアサーバーがカウンターの逆向きで下に設置されたビール貯蔵庫(?)が客向きになってしまっているのがユニークだったのも撮影の理由でした。
確かにこの向きの方が注いでから運ぶことを考えれば効率的ではありますが、ロンドンの格式あるパブのカウンターの内側も同じようになっているんだろうなあと想像させるのが楽しいと思います。

話は変わりますが、今回、メインのペッツバールレンズ、ブートレの相棒として持参したのはズミクロン50mmF2でした。
あまり枚数は撮りませんでしたが、久々にM6のブラックペイントを持っていったので、それに合うレンズとしてズミクロンの後塗りブラックペイントを選んでいました。
正月の撮影になるので、ズミクロンで原点回帰という意味も持たせています。
それに、少々前、Neoribatesさんのブログでズミクロンを使わないとという趣旨の記事を読んで、爾来ズミクロンを使う機会をうかがっていました。

ズミクロンはすばらしいレンズで、何度か買っては売りを繰り返し、現在、沈胴の黄色いトリウムレンズ、デュアルレンジ・ズミクロン、今回使用の二代目固定鏡胴をブラックペイントしたものの3本も所有しています。
2代目ズミクロンは気味が悪いくらいに開放からシャープに写るレンズでしたが、クラシックレンズの描写ではないと判断して売ってしまいました。
上述の3本はどれも初代ズミクロンにカウントされるレンズですが、写りは三者三様でどれがいいとは一概に言いにくいものがありますが、トリウム沈胴は滅茶苦茶シャープですが白が黄色く写る欠点もあって特殊レンズ扱いとすると、
35mmのズミクロンほどボケのアラが目立たないですし、二代目固定の中庸感覚がわたしは好きです。
作例を見ても、とてもシャープなのにけっして線の細い描写と言う感じではなく、シャープ過ぎない温かみのような表現をしているように感じます。
ライカのレンズのイメージそのままですね。

しかし、これだけシャープで撮影しやすそうなズミクロンですが、α7のファインダーではピント合わせはほぼできません。
ピントの合っていない作例もいくつか出してしまいましたが、瞬時のスナップなどでは少なくともわたしの資力では到底ピントを出すことはできないと観念しています。
レンジファインダーなら瞬時にピントが来るので、このレンズはやはりライカで使用してこそ生きるのだとわたしは思っています。
今日の作例のように止まっていてくれれば、拡大するなり前後にピントをずらして何枚か撮るなり対応は可能です。
ミラーレスの優位性はこれまで何度も体験してきていますが、やはりライカのレンズはレンジファインダーあってこそで、カメラも併用するのが理想のようです。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/21 Wed

江島神社に参拝す

Summicron 5cmF2
ニャウンウーからは夕方の便でヤンゴンに戻りました。
ミャンマーの滞在はもう1日あるので、本当は日程をずらすなりしてヤンゴンに戻ってその足で帰国便に搭乗する方が効率的なのですが、ミャンマーの国内事情によりそれができませんでした。
ミャンマーの国内線は定時運行しないという評判が高く、さらには欠航も多いと言うので、帰国便に乗り継げなくなるリスクがあるということで1日前に戻って来る道を取らざるを得なかったのです。
最悪、飛行機が飛ばなかった場合、10数時間のバスに揺られて戻る手があるからです。
結果的には定時運行でしたが。

空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手がユニークな人でした。
彼は自分は船乗りだと語り出し、船に乗らないときはタクシーを運転しているというので、漁師かと聞くと、イギリスの大型客船でコックをしているという意外な答えが返ってきました。
イギリスを出発してノルウェーやスペインなどを巡る観光用の客船があって、4月から11月まで毎日船に乗らないといけないが、寄港地を散策したりもできる面白い仕事だと笑いながら話してくれます。
ミャンマー、フィリピン、ベトナム、インドなど5~6人ずつ同様の仕事をする人がいて、彼らとコミュニケーションを取っているうちに英語が上達したとのこと。
イリアンなどつくるのは西洋の料理ばかりと言っていましたが、料理上手なのでしょう。
しかし、タクシーの運転は酷いものでした。

さて、翌日も好い天気で、深夜の航空機でヤンゴンを経つまでの時間を散策に費やすことにします。
ヤンゴンの町中は、前回と今回でかなり歩いているので、最終日は郊外にと考えましたが、1時間ほどバスに揺られたところにあるチャウタンという町に、水中パゴダがあってミャンマー人の信仰を集めているという話を聞いたので行ってみることにしました。
ただし、バスがどこから出ているかの情報はなくホテルで聞くと夜行バスで10時間かかるとかトンチンカンな回答でした。。
そこで、ホテル傍のバス程度聞いてみると、ミャンマー人はとてもフレンドリーで、どこそこのバス停で出ていると教えてくれ、さらにそのバス停でどれに乗ればいいのか聞くと、バスを停めてくれた上に乗り換え時に案内するよう車掌に頼んでくれました。
ミャンマーのバスには路線番号がありますが、数字もミャンマーの文字が使われているので外国人には番号すら読めないのです。

バスは終点で乗り換えで、車掌があれに乗れと言う先にはすでに満員のバスが待っていましたが、その様子を見ていた満員バスの車掌がわたしのために座席を空けさせてそこに座れと言います。
外国人が珍しいからということなのでしょうが、固辞しても座らせられるし、近くには老人が立っていたりでちょっと座り心地はよろしくなかったです。
そのバスも終点がまさに水中パゴダの真ん前でしたが、ホテル付近のバス停からトータルで1時間45分もかかってしまいました。
これだとアクセスがいいのか悪いのか分かりません。

作例がその水中パゴダこと、イェレーパゴダですが、水中と言うよりも水上ですね。
ヤンゴン川の真ん中にあって、パゴダに行くためには作例写真のように船に乗らなければなりません。
しかも外国人は専用船で料金は7ドルと高く、さらにパゴダに到着すると2ドルの入場料を取られました。
わたしは前日買っていたロンジーを着ていたので、ミャンマー人と間違えられたこともあったのですが、ミャンマー人用の船に乗ろうとしたら、監視の親父がいてすっ飛んできて降ろされてしまいました。
外国人船に乗るとミャンマー人が何人も乗っているのでおかしいと思って彼らに聞くと、みなタイ人とのことでした。
彼らならミャンマー人でも通じるでしょうが、信仰のために乗る船で金銭をけちっていてはいけないのだと気付いて反省します。

観光化していて外国人に冷たいし、作例をよく見ると鉄塔から右に電線が延びていて電気を引いているのも分かるし、個人的には好きになれなかったのですが、観光化されつつも信仰を集める島と言うことでは、江の島やモンサンミシェルと共通点があるような気がして、敢えて紹介してみることにしました。
撮影位置から2~3分歩くと、イェレーパゴダがよく見える川べりの野外レストランが並んでいます。
江の島ならシラス丼か何か出てきそうですが、ここではオーソドックスなマトンカレーとチキンを頼みました。
場所柄かビールはありません。
オーダー時にマトンカレーあると聞いたら、カレーであるのは、シープカレー、カウカレー、ピッグカレーだと言われたのには大笑いしてしまいました。
江の島のような観光価格ではと心配しましたが、料金は150円程度で、ヤンゴンの屋台よりも安いくらいでした。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/20 Tue

近未来的設備の中には

Summicron 5cmF2
作例を見て、これが何をしているかなんてわかる人はまずいないでしょう。
答えを先に言えば、大量のお米を焚いているところということになります。
恐らくここは、2基の大竈を備えた常設の炊き出し所みたいなところだったかも知れません。
そろそろ帰国後2週間になって記憶もあやふやになって来ましたが、簡単に説明を試みたいと思います。

まず男性の右横に銀色のたらいが見えますが、これは米とは別に湯を沸かすかスープを煮立てている物のようです。
その下にある土に半分埋まっているような黒い部分が米の入った大きな鍋のような容器で、米は長粒種、水も適量入っていますが、とくに研いだりはしていませんでした。
その下は木をくべて火がつけられています。
その火が適度に燃え続けるように男性の背後くらいに四角く穴が掘られているのが分かります。
地面を利用した竈ですね。

面白いのは、とじ蓋ではなくロケットのような金属の筒で全体を覆っていることです。
中に蒸気が発生して炊くというよりは蒸すようなイメージなのでしょうか。
わざわざこうする意味があるのではないかと思うのは、こんな筒をわざわざ作って、作例では宙に浮いているように見えますが、これは上から紐で吊って滑車で上げ下げしているんです。
相応な意味がなければここまでするとは思えないのです。
よく見ると金属の枠があるので、ここに肉とか魚とか吊るすことで燻製とかもできそうですね。
この村に伝わる万能調理器の発展型なのでしょうか。

こうして炊いている大量の米ですが何のためかと言うと、村全体の集まりがありました。
大音量で楽隊がパーカッション主体のミャンマーの民族楽器を演奏しているのが遠くで聴かれたと思ったら、案内してくれたお坊さん以外はみんなで行くぞとわたしを連れてきてくれました。
お坊さんが付いてこなかったのは、たぶん、午後は食事できないことになっているので、行ってはいけないなどあるからなのでしょう。
到着するとなぜかもうわたしの来訪を知っているような感じでどうぞどうぞと特等席に掛けるよう言われました。
まさか、わたしを歓迎する式典かと一瞬思ったところ、彼らが若い男女を連れて来て何やら説明しようとしているので、彼らの結婚式かと早合点してしまいました。

これが実は、村人の得度式というものが行われていたということをあとあとジョジョに教えてもらいました。
結婚式だとずつと思っていたのがそうではなかったのに驚きましたが、ジョジョが得度式と言う日本語まで知っていたのにも驚かされました。
得度式と言うのは、出家した人が僧侶になることを祝う式典だということだと思います。
ジョジョはそんな時にわたしの村を訪ねてくれてありがたいし、あなた自身もとても幸運だと言ってくれました。
不思議なのは、11月のカンボジアでは結婚式に遭遇し、12月のラオスでは青年が村を離れる儀式に出くわし、今回1月のミャンマーで得度式の村を訪れと、縁起の良いことばかりに出合っているということです。
自分自身はプライヴェートでロクなことがないという毎日なのに、旅に出るとそれを癒してくれるようなことが起きるのは、もうお前は日本よりどこか違う土地にいた方が良いのだと言われているかのような気がしてきました。

ジョジョは、自分の出身の村に行くこと自体は勧めてくれていたのですが、問題は食事することがないことだとポツリと言ったことが気に掛かっていました。
しかし、幸運なことに得度式が行われていたために、食事を振る舞われることになりました。
野菜主体の料理はおいしく、ご飯もいけたのですべておかわりしてしまったのですが、わたしが食べているのを不安そうに見ていた村人はそのことで、一気にわたしとの親密感を増したことが分かりました。
日本人の口に合うのかと心配していたところが、旨そうに食べておかわりしてくれた、これはもう家族のようなものだ、というようなノリを感じたのです。
ただ、食事に一切の肉が使われてなく、お酒を飲む人もひとりとしていなかったのが不思議と感じていたにも関わらず、それ以上思慮を巡らすことがなかったのは、わたしとしても大きな不覚でした。
これだけアジア諸国を旅していながら、それでも結婚式だということに疑問を抱くことなく、肉や酒のないことと仏教儀式との関連にまったく気付かなかったのですから。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/18 Sun

手に入れた3枚の布

Summicron 5cmF2
村まで連れて来てくれた運転手さんはゲストハウスのスタッフ、ジョジョさんの友だちだそうですが、旅行会社に勤めていて、英語ができるからと言う話でした。
しかし、英語はほぼ片言レベルで、残念ながらガイドとしては役立ちません。
ひとりで見て廻ろうと考えていたのですが、車を村の中心のお寺の前で停止させると、出てきた僧侶と何やら挨拶、すると僧侶がおばさんを呼んで来て、運転手、僧侶、おばさんの3人が片言の英語を駆使してわたしを案内しようとします。
おばさんはともかく、高齢のお坊さんに案内してもらうのは申し訳ないと固辞しましたが、なんとこのお坊さんはジョジョさんのお父さんだと言い、おばさんも叔母だとのことでした。
コミュニケーション困難なのでよくわかりませんが、息子のジョジョがお世話になっている日本からのお客様なので手厚くご案内せねばということのようです。

さっそく自宅に案内してくれ、お茶と土地の特産品ピーナツを振る舞われます。
建物は木造ですが壁の部分はバガンの遺跡方面の村で見たような竹皮を上下左右に編んだものが用いられています。
やはりこの日も日中は27~8度くらいあったのではないかと思いますが、家の中は意外に涼しくて住み心地は好さそうでした。
落ち着いたところで、今度は別のおばさんが現れてお坊さん、運転手とともに近所に移動して機織りを見せてくれました。
観光地の博物館・民芸館などに置かれていそうなものですが、これは毎日使っている現役の器械です。
案内のおばさんが実演してくれましたが、縦横の糸を組み合わせてかつ足で操作する複雑さに、かなりの熟練が必要と思われました。

1日何メートルくらい織れるものですかとありきたりの質問をしてみましたが、これがまったく通じません。
織ったものは販売するのですが、自分で使用するのですのかも理解してもらえませんでしたので推測すると、以前は着るものを織っていたが、今の村人の出で立ちは既製服を着ている人ばかりなので、もっぱらタオルとかおばあさんが着る上着を造る程度にとどまってしまっているようでした。
これがそうだよと作例のようなストライプのパターンの手ぬぐいを手渡してくれたので、売ってもらえませんかと聞いたところ、欲しいならどうぞとプレゼントしてくれました。
わたしが相当嬉しそうか顔をしたのでしょう、家の奥に引っ込んだかと思うと、違う色使いのものをもうひとつ手渡してくれるのです。
この期に別の家に移動したのですが、その話を引き継いでくれて、そこでも手ぬぐいをもらってしまいました。
現状は分かりませんが、機織り機は一家に一台、それこそミシン代わりに置かれている物だったようです。

その家には、粉挽き機というのでしょうか、中央に臼の置かれたオープンな小屋があって、ちょうど粉を挽いているのを見学できました。
オランダでは風車を動力に小麦を挽くものがありますし、川崎の民家園には水車の動力で挽く装置があったと思います。
ここのは中国の貴州省で見たのと同様の牛を動力としたもので、体を固定された牛が臼を中心に小屋の中をぐるぐるとまわることで粉を挽く仕掛けです。
中国のと違うのは、人が牛を固定する木の板の上に座っていたことで、理由は分かりませんが、家主のおじさんも牛の動きと同様に座りながらもぐるぐるとまわっているのがユニークでした。
また、挽いていたのは小麦や米ではなく、特産のピーナツで油を搾っているということでした。
大韓航空の元副社長さんは罰にここに来て牛の代わりに労働させたらいいかも知れません。

続いて隣接する小学校に連れて行ってくれました。
地元の若者が先生をしている学校で、授業の合間のようで全先生が集まってくれてわたしの訪問を歓迎してくれました。
といっても先生たちも英語は得意ではなくなかなか意思疎通できません。
生徒は300人ほどいるというので、小さな村に見えて実はけっこうな人口があるのだと知らされました。
村にあるのは小学校までなので、ゆとりがある子は町の中学・高校と進むそうです。
そういえば、前月ラオスの村を訪れたときはちょうど村を離れる子のためのお祝いをしているところに遭遇しましたが、この村でも同様のことがあるのでしょうかと、考えたところ別のお祝いをやっているところに連れて行ってもらいました(そのことはまた明日にでも書きます)。

この村を訪れる際あったら便利なものを書いておきましょう。
サングラスです。
村の道は当然未舗装ですが、なぜかそれは土ではなくほとんど砂なのです。
その砂が白浜海岸の砂かというような白い砂で、太陽が反射していて常に眩しく眼を開けているだけでも疲れるくらいでした。
村人の多くが色黒だったのは、直射日光プラス砂にバウンスした光の二重照射の力によるものではないかと考えてしまうほどです。
昨日の牛の作例はそんなことで光線状態が良好できれいに見えているのではないでしょうか。
名前をスペイン風にヴィラ・ブランカと呼びたくなる、そんな素敵な村でした。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/17 Sat

牛の待つ村へ

Summicron 5cmF2
話は若干戻りますが、ニャウンウーに着いて自転車で安宿探しをしたのですが、数軒ほど見つかったゲストハウスはどこも似たり寄ったり、料金までもが同じで、新館が比較的最近建ったばかりだという宿に荷を解きました。
スタッフの人が日本語堪能なのに驚きましたが、そのせいかロビーには日本人の若者が数人たむろしているのが気になると言えば気になりました。

日本人女性から声を掛けられごく簡単に自己紹介しあいます。
彼らはグループと言うわけではなく、それぞれバラバラに旅して来てこの宿で知り合い、何となく行動を共にするようになったそうです。
そういう旅の仕方もあるのかも知れませんが、わたしの旅のスタイルとは相容れません。
長期旅行ならともかく、短い旅の中で現地人ではなく、外国人の旅行者でもなく、日本人同士でまったりと話している時間と言うのはわたしにはもったいなく感じられるのです。
中国の話などを少々せがまれたりもしましたが、申し訳ないことにそれとなく断るようにわたしは外に飛び出していきました。

この宿は某ガイドブックでおすすめの宿だということがわかりました。
そういえば、彼らと少し話をしたとき、そのガイドブックは持ってますよね、と聞かれて、いいえ、わたしはアジアの旅では地図は持ちますがガイドブックを持って旅しません、情報は現地で仕入れてこそ旅の醍醐味であって、ガイドブックなんて持っていたら書かれている以上の旅ができなくなるようで嫌なんです、と答えました。
言い方は気取っているようだったかも知れませんが、ごく当たり前の旅の正論を言っただけのつもりです。
ただ、そのセリフで引いた人がいたのは紛れもない事実だったようです。

ヤンゴンの空港で、ニャウンウーの写真館について場所を確認できないかとネット検索したのですが、結局、それは分からずじまいだったのですが、何となく見たサイトの中にニャウンウーのゲストハウスでフミヤさんと呼ばれる日本語堪能のスタッフのいるゲストハウスがお薦めなどと書かれていて、こういうところには行かないようにしようと考えていました。
そして、わたしが宿泊した宿の日本人がまさに日本語堪能なスタッフをフミヤさんと呼んでいるのを聞いて、わざわざフミヤさんのいる宿を選んでしまっていたことに愕然としました。

しかし、このフミヤさんことジョジョさんは日本人と話しているときのふにゃふにゃした印象とは違ってミャンマー人らしい思慮深さを持ったなかなか興味深い人物でした。
そのことはまた後日記しますが、くだんの写真館の場所や評判がいかに高いかを教えてくれたのはこの人でしたし、翌日はもう遺跡を見に行きたくないし、素朴な村が近くにありませんかと聞いたときに、よければわたしの出身の村をたずねてみてくださいと勧めてくれたのもこのジョジョさんでした。
勧めに従って20キロほど離れているというその村に3500円で車をチャーターして出掛けてみることにしました。

この村がどれだけ素晴らしかったかは到着した時に分かりました。
幹線道路を外れダートロードをしばらく走ると線路が見えて、右に行くとマンダレー方面、左に行くとヤンゴン方面だと教わりましたが、どちらにも10数時間かかるとのことでした。
そして村の入り口に着いたと思えば、いきなり牛車が向うから来て、真正面に回り込んでも撮影できてしまうという超スローな歩みでした。
牛の歓迎に続いて、この後も続々と村人たちの大歓迎を受けることになります。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(2) | 2015/01/16 Fri

日本人が教えたまえしもの

Summicron 5cmF2
ニャウンウーの小さな町は、表通りと裏通りではっきりと性格が別れていることが分かりました。
表通りはほとんど観光客のための町で、そこから1歩内側に入ると完全にローカルの人たちの生活領域です。
表通りを外れてしまうとゲストハウスなど見つからないばかりか、外国人を意識した何かというものすら見出すことはできません。
まるで、ニャウンウーは線の町で、わたしには奥行き感がまったく掴めませんでした。

宿はまた通りに出てから適当にあたりましたが、少し引っ込んだところに新館がオープンして間もないゲストハウスがあったのでそこに決めました。
旧館は1泊2000円で何十年と泊り続けてきたバックパッカーたちの汗の臭いが染みついたような部屋でしたが、新館の方は500円プラスするだけで清潔と快適が確保されているような大きな違いが感じられます。
にも関わらず、旧館は満室で新館はいくつか空きがあるというので、若いバックパッカーは多少の条件には目を瞑って500円拙訳しているのだと分かりました。

早速、ニャウンウーに来た目的遂行の行動に移らなければなりません。
レンタサイクル屋の夫婦は知らないと言っていましたが、宿の従業員に聞いてみると、それならここから歩いて2分だよと教えてくれました。
その従業員とは日本語堪能のジョジョという名前で、向かいにある奥さんの家に住んでいるそうで、わたしは婿養子なのでと日本語で照れながら言う、性格も日本的なところのある男性でした。

お礼もそこそこに向かったのが、作例の写真館です(暗くて分かりにくいのはご容赦ください)。
ある本で読んだのですが、この小さな写真館は、戦前ヤンゴン(当時の名称はラングーン)にいた日本人の写真師に写真撮影を習い、1940年にニャウンウーでこの小さな店を始めたのだそうです。
詳しいいきさつは分かりませんが、開店時に手に入れたのは日本製のAstoriaという恐らく8x10の木製のカメラで、作例の真ん中に写っているのがまさにそのカメラです。
左横にいるのは開店時の店主の娘さんだそうで、当時の設備のまま写真館を続けてきていました。
ジョジョによれば、この写真館はミャンマー中で知られていて、ここで撮影された写真のカレンダーは特に有名なのだそうです。

戦前のミャンマーはイギリスの植民地から脱したいと願い、逆に開放するという名目でアジアの国々に侵出していた日本と共同戦線を張っていたのが、日本人写真師がヤンゴンにいた頃と符合します。
アウンサン将軍も日本陸軍の軍事訓練を受けていたりしたと聞きますが、最終的には隣のインドでのインパールの敗戦を受けて当時のビルマはイギリス側に寝返り、その時点で日本との関係は失ってしまったはずですが、一部の民間人の間にはこの写真館のようにその繋がりから日本を崇拝し続けているケースもあったようです。
この女性はまさに父親から日本人のことを聞いて育っていたのでしょう、戦後ずっと使いやすくなったカメラになびくことをせずに日本人が教えた日本製大判カメラを現在でも使い続けているというのです。
これを知ったわたしは、ミャンマーを訪れた暁にはここを訪れたいと考えて、ついにそれを成し遂げることができたのでした。

わたしはここまで来たいきさつを話し、持参したペッツバールを見せて、このレンズで撮影してもらえないでしょうかとお願いしてみたのですが、カメラへの固定が難しく断念せざるを得ませんでした。
いつも使用しているという210mmだったかのノンコートのフジノンを使用します。
また、カメラは8x10ですが、このサイズのフィルムが入手困難なために35mm用フイルムを使っていたのがとても残念に感じられました。
2枚400円で名刺サイズほどのプリントをしてもらえるとのことで撮影してもらいましたが、強いライティングが影響しているのか、あるいは古いフジノンレンズの特性か、ややソフトな感じながらスタジオで丁寧に撮影されたと分かる(被写体以外)美しいポートレイトに仕上がっていました。
ビルマが最貧国に堕していて、かつ写真館の主に伝統を守るのだという気概があったからでしょう、まるで1940年当時のまま時間が止まってしまったかのような写真館で撮影してまらえるというまたとない機会を得ることができました。
わたしの場合は、日本人が日本のカメラでミャンマー人を撮っていたということですが、このケースは、ミャンマー人が日本のカメラ゛日本人を撮ったということになるわけです。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/10 Sat
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