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正確な頭脳とは

Zunow 3.5cmF1.7
今日は友人とともにカメラを持って散策しました。
持参したレンズは、下記になります。
ズノウ35mmF1.7。
アキュラーに対抗して持ち出したわけではなく、このレンズにちょっとした不具合があったので奈良の修理屋さんに見てもらおうと持参したのですが、その場でちょちょいと直していただいたので、さっそく使用してみました。
同行の友人がいかにもこういう癖の強いレンズが好きそうなので、もし気付いたら、来週はベトナム旅行するのでその間お貸ししようかと考えていました。
結果的にこのレンズが気付かれることなく、そのまま持ち帰りになりましたが。

昨日書きました萩谷さんの「ズノーカメラ誕生」を読み返すと、ズノーレフレックスのこと以外に、帝国光学のあゆみについても詳しく、とても興味深く感じました。
帝国光学は名前のイメージから軍事産業絡みの光学産業の先端を行くメーカーと思っていたのですが、当初はレンズの研磨を専門とする小規模な組織に過ぎなかったそうです。
そのせいか事業拡大時に日本光学から引き抜いたのは、研磨の第一人者の浜野氏でした。
海軍の要請でX線用大口径レンズをつくりますが、レンズ設計の専門家がおらず、浜野氏にその任務は託され5cmF1.2レンズを試作したものの終戦と戦災で日の目を見ることはありませんでした。

しかし、戦争ですべてを失ったなかで1948年に帝国光学は再建され、2年後には5cmF1.1を設計して世に問いますが、評判は芳しくありませんでした。
そこで新たに日本光学から国友氏、八洲光学から藤陵氏のふたりを迎え、5cmF1.1を大幅に改良して設計しました。
さらに、国友氏は3.5cmF1.7を、藤陵氏は10cmF2を設計して、大口径レンズトリオを世に問うたのでした。
ところが、評価は悪くなかったこれらレンズも、価格が高過ぎて売れ行きはよくなかったそうです。

売れなかったという3.5cmF1.7レンズは、何本製造されたのでしょうか。
ズノー誕生には記載なく、簡単に調べてみようと思いました。
ざっと検索などで見てみると、No.10067,10086,10113,10135,10151,12007,12024,12053,12618の9本が見つかりました。
また、No.10941から11698までなん本かのミランダ用5cmF1.9も見つかります。
これだけのわずかのサンプルから大胆に予想すると、No.10000 – 10200, No.12000 – 12100、以上の300本とその後10本程度の追加製造をした、ということになります。
まったくあてずっぽうで申し訳ありませんが、このレンズを使っている方の数や中古市場への出現回数を見ていると、300本ちょっとというのは案外と妥当な線のような気がしてしまいます。
ほんとうにこの程度の製造数だとしたら、設計や製造のコストを考えるとかなりの赤字レンズだったということなのでしょうね。

さて、本日の作例は、散策で訪れた天理市にある石上神宮です。
いそのかみじんぐうと読み、古事記に記載されるほどの最古の神社のひとつなのだそうです。
幽玄な空気にしばし見入っていたら神職の方が通られたので慌ててシャッターを切りました。
期せずして、2日続けて神社と神職がモチーフになりました。
【Alpha7II/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(0) | 2016/06/17 Fri

農村的士高

Zunow 3.5cmF1.7
バイクに跨ったときにはまだまだ日が高かったですし、1日行動しているうちにわたしの意思を理解するようになってしまったのか、帰途、道路沿いの村に立ち寄ってくれたのでした。
ここでも突然の珍客に騒然となったりもしましたが、ここでも暖かく迎え入れてくれたような気がします。
竹細工のおじさんのこれ以上無いような柔和な顔がそれを象徴しているような気がします。

この村は、先に訪れたバン・ホーアイ・イエン村と比べるとずっと小さいですし、道路に面しているせいで中途半端に近代化しているような、あまり魅力を感じられない村でした。
こういうところは、村に素朴さを求めるわたしの身勝手なのですが。
例えば、2つの村を訪れたとした場合、どうしても2つを比較してしまいます。
それぞれに特徴がある村を訪れないと、最初がよかった場合、どうしても後の村が見劣りしてしまうということは考えなくてはいけません。

しかし、この村でも何が何だか分からないお祝いが行われていたのです。
大音量のラオスのポピュラー音楽が流れていたので、その方向に行ってみると、高さの余りない小さな高床式住宅に踊っている人が群れているのが見えました。
四畳半ほどの狭い部屋に10人くらいの老若男女がひしめきながら、音楽に合わせて体をくねらせています。
ディスコ大会をやっているようでした。
驚いて見ていると、わたしたちも仲間に加われと中に招じられました。
ええっ、と当惑しているとビールが回って来て、一気飲みさせられ、続いて手を取られてこうやって踊ってと指導してくれます。

カームロイ君にどういうことか訳してもらおうとしましたが、音楽が大音量過ぎて聞き取ることができません。
そのうちに誰かが大笑いを始めてそれがみんなに伝染し、10名くらいが大笑いしながら踊り狂っているのは、我ながら異常な光景だったでしょう。
20分くらいそうしていると、今度は手を取られて、扉の奥の部屋に招かれました。
そこは老人たちが数名、厳かな雰囲気の中で食事をしているところでした。
家の主と思われる老人の隣に座らされ、何か挨拶めいたことを話しかけられるや、酒の入ったコップを手渡されます。
午前中同様の展開に動じず、こちらも厳かな身のこなしで応じて、余裕で酒を飲み干しました。

あまり長居して暗くなってしまってはいけないので、そこそこにお暇を告げてルアンパバンへの道を急ぎました。
中国の若者とは違って、彼は省エネ運転で、後ろから一体あれは何だったのと聞いてみました。
いや、分かりません、たぶんおじいさんの誕生日とかではなかったかと思います、との返事です。
村の名前はと聞きましたが、答えはやはり分からない、でした。
では、なぜあの村に寄ったのかと聞くと、あの村はカム族ではなくモン族の村なので、われわとどう違うのか興味があったから、とのこと。
なんだ、わたしのために立ち寄ってくれたわけではなかったのか…。

帰りにまた彼の下宿先に寄ったのですが、そこでは大家さんたちが仲間と野外で祝宴を挙げていて、今日は午前中から宴会ふたつ掛け持ちで散々ビールや酒を飲んだのでと断るわたしにどしどしビールを注いで寄こします。
前の村のディスコ大会の酒が完全に醒めきらないうちに、ここでも短時間で4人でビール5本くらい開けてしまいました。
今日1日だいぶ飲み過ぎてしまったのを後悔しましたが、それでも厳格なイスラム圏を訪れて暑いのにビールが飲めないというよりはずっとよかったと開き直るしかありません。
【Alpha7/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/19 Fri

看藤球比賽

Zunow 3.5cmF1.7
もう一度学校に戻ってくると、校庭の一部でセパタクローの試合が行われていました。
誰もいなければバレーボールのコートにしか見えませんが、セパタクローのコートだったのですね。
少し眺めていましたが、高校生なのにみなうまく、ほぼ日本の高校で行われるバレーボールの試合と同等の試合展開を見せてくれています。
カームロイ君にラオスの人はみなセパタクローができるのかと聞きましたが、話が通じません。
どうやらラオスではセパタクローとは言わずに違う名前があるようなのですが、何と言うのか忘れてしまいました。

何と言うのか調べるべくラオスのセパタクローと検索したら、それとは関係なく上位にヒットしたのが、先の仁川アジア大会のセパタクロー競技で、ラオス代表が準決勝の試合開始時間を勘違いしたため韓国が不戦勝で決勝進出したという記事でした。
韓国の国際スポーツでは、そのアジア大会でのボクシング判定とかソチ五輪でのキムヨナ準優勝の抗議とか物議を醸す出来事が多くありましたが、まさかこれもそのひとつなのではと心配になります(ウィキペディアに大会の疑惑一覧が出ていますがさすがにこの一件はない)。
きっとセパタクローはラオスの国技のようなもので、オリンピックでは採用されていないのでアジア大会が最大の競技大会だったのでしょうが、まさか時間間違えで失格とは気の毒すぎます。

カームロイ君は男子たるもの誰もがこの協議の経験者だと言い、僕もかなりの名手だと、上着を私に託して勝手にコートに入って行ってしまいました。
気が弱そうな少年のところに行き、君は外へ出てと指示して彼らと真剣勝負を始めます。
しかし、しばらくプレーしていないのは見た目に明らかで、空振りとホームランの連続に高校生から冷ややかな目で見られるというマンガのようなパターンを地で行ってしまうトホホ振りでした。
セパタクローは一般にまったく馴染みのない競技ですが、高校生たちの協議でも間近で見るとひとつひとつのプレーがテクニック、スピード、迫力と三拍子そろっていて、実に楽しめる競技だと実感できました。

それからまた女子寮のところに行ってみましたが、やはりカームロイ君の妹さんは戻っていませんでした。
セパタクローでいいところを見せられず、自慢の妹も紹介できずで、すっかり落胆してしまうカームロイ君です。
わたしに妹を紹介したいというより、妹に外国人の友だちがいるんだぞ、オレたちは英語で会話しているんだぞ、すごいだろうと自慢したかったのでしょうが、その目論見が外れた落胆具合は、わたしの想像を超えたものだったことを申し添えておきます。

わたしの方はこっそりラオスの高校の女子寮の中を撮影できたので、落胆することはありませんでした。
寮はもともと後者だったのではと言う作りですが、平屋の建物が50メートル近い長さもあって、8部屋ほどに分かれています。
その部屋には2段ベッドが8台も入っていて、1部屋の定員が16人だということが分かります。
高校には制服は無いようで、着るものは作例のように物干しのような棒が部屋を貫通していて、ハンガーで吊るしています。
そういえば外には物干し場があって、大量に干された衣類が壮観でしたが、恐らくは平日は授業が忙しくて土日に一気に選択するのでしょう。

中国の大学寮の部屋の写真を見たことがありますが、同様に窮屈なもののさすがにこれよりは余裕があり、毎人ごとに小さな机も設置されていました。
ラオスでは、ちゃぶ台で小さくなって勉強しているのが、ひたむきな姿に見えて何だか切なくなってしまいます。
カームロイ君は普通な顔をしていたので、彼の妹も彼自身も同じような恰好で勉強したのでしょう。
【Alpha7/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/18 Thu

年軽船工

Zunow 3.5cmF1.7
あちこち歩き回って酔いもほどほど醒めてきたところで、食事の準備ができたと声を掛けられました。
高床の階段をまた上って部屋に戻ると、2列に並んだ皿の行列に対峙するように男性たちが4列になっていて、日本の忘年会を思い出させるものがありました。
ただ、料理の皿をよく見れば、先に降りたときに女性たちが食べていたものと同じだとすぐに気づきます。
男尊女卑的な習慣がある中でレディファーストの文化も見たような気がしました。

食事の最中もアルコール度数のきつい米酒を回し飲みします。
下戸の人はいないようで皆が均等に飲むのがよいですが、たぶん飲めない人はこういう席には来ないというだけのことでしょう。
それにしても、これだけ飲みながらあからさまに酔っぱらう人がいないのが日本とは違うところでしょうか。
中国のように大声で会話するというのでもなく、静かで和やかな雰囲気です。
歓迎されているので居心地もよろしい。

このままでは、夕食も食べて行けとか、泊って行けとかなりそうな勢いでしたが、カームロイ君と目配せして適当なタイミンクを見計らいお暇することにしました。
実際には、その場にいた青年がウチにも寄って行ってほしいと言って招待され、そこでも1時間くらい雑談をして過ごしました。
ここでは山奥で採ってきたという薬草をつけたお酒をご馳走になりましたが、こんなに苦い酒を飲んだのはハンガリーのウニクム以来です。

その家に宴の主人公である村を出る少年の父親が現れ、今日はよくぞ来てくれましたとあいさつに現れました。
しかし、ついぞその主人公の少年を見ることはありませんでした。
早々に酔っぱらってどこかで寝ているのだろうとはカームロイ君の弁です。
その父親と家の家族たち、それに昨日の作例の少女たちが見送ってくれてわたしたちは村を後にしました。

船着き場には少年がひとりいるだけでしたが、彼がパドルを手にしているので船頭さんと言うことなのでしょう。
長いカヌーのような船を準備しながら、にこりともせずに座るように促します。
川幅は50メートルほどでしょうか、水深不明ですが流れはゆるやかでよほどのことがなければ、落ちても死ぬことはないと思います。
それでも断面がV字型の船はちょっと操作を誤ればすぐにひっくり返りそうな危うさがあって、命を少年の手に預けたようなちょっとしたスリルがありました。

作例をよく見ると、船着き場のところに少女が立っていますが、昨日の作例の女のではないですか。
どうやら見送りに来てくれていたのですね。
この時はまた酔っぱらっていたので不注意にも気付きませんでした。
せめて手を振って上げられれば良かったと後悔しています。
川幅はそれほど広くなくても、川向うにある村とはそれ以上の隔たりを感じてしまうものです。
【Alpha7/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/17 Wed

頭脳集団

Zunow 3.5cmF1.7
ズノー35mmF1.7レンズの構成が分からずにイライラしていたのですが、探していた本は見つからなかったものの、レンズ構成調べと言えばここだというサイトがあったのを思い出しました。
その秘密のサイトには帝国光学/ズノー光学だけで1ページ割かれていて、15本ものレンズが紹介されています。
ライカマウント大口径御三家の35mmF1.7、50mmF1.1、100mmF2をはじめ、ミランダ用の50mmF1.9やシネ用38mmF1.1があって、なんと幻のズノー・ペンタフレックスカメラ用の4本のレンズが出ているではないですか。
すごい資料です。

本題の35mmF1.7の構成は、4群6枚の一般的なダブルガウスの第1群の前にメニスカスを1枚置いた5群7枚でした。
ライカレンズで例えると、ズマリット(クセノンやズミルックス50mmも同様)を前後ひっくり返した構成、もしくは8枚玉ズミクロンの最後群を取っ払った構成と言えば分かりやすいでしょうか(ますます分からない?)。
実は意外なところに似た構成があって、なんと幻レンズのズノー・ペンタフレックス58mmF1.2が同様の5群7枚です。
もちろん同じ設計ではありませんが、35mmF1.7は優秀な設計で、社運を賭けた自社カメラの看板レンズにそれが受け継がれたのではと想像すると興奮を禁じ得なくなります。

とは言え、やはりズノー35mmF1.7は、性能を云々するのは厳しいレンズです。
昨日、一昨日と絞った作例でせっかくシャープなのに周辺がケラレていてちょっとがっかりなのに、今日の開放に戻した作例では、背景が凄まじいまでに暴れまくってしまっていてため息が出るばかりです。
発売当時に入手した真面目なカメラファンたちは、撮影結果を見てさぞかしがっかりしたことでしょう。
もっともこのレンズが発売された1955年には、まだ明るい35mmレンズはほとんどなかったので、暗い中でも撮影可能になったことで十分な価値があったのかも知れないですが。

ただ、この描写はレンズ本来の調子が出ていない可能性があることにも言及しておいた方がフェアでしょう。
ズノーに関する記述で、50mmF1.1の話になるのですが、ガラスの製造が安定していなかったために隙間や鏡胴との間に職人が詰め物をして微調整していたということを読んだことがありました。
詳細はよく覚えていませんが、その辺の事情を知らずにオーバーホールしたリペアマンが詰め物を元に戻せずに組み上げたために本来の描写を失ったという同レンズが多く存在しているようだというような内容でした。
50mmF1.1ほど微妙な調整をしていなかったのかも知れませんが、35mmF1.7だって同様なことが言えるでしょう。

わたしのズノーはオリジナルの売りではないのではないかと思い、他に開放の作例が出ているサイトなどないかと探しているのですが、参考になるものが見つかりませんでした。、
高価なコレクター向けレンズを持っている人の多くはわたしのように使わずに所蔵して、将来の値上がり時まで防湿庫に眠ったままだとよく聞きますが、ズノーあたりはそういう憂き目に合っている個体が多いのかも知れないですね。
もともとの製造数がかなり少なかったことは言うまでもありませんが。

作例の描写を見て思うのは、このレンズがライカ用ではなく、シネレンズの転用なのではと思えることです。
35mmシネ用レンズにこんな描写のレンズがいかにもありそうに思えるのですがいかがでしょう。
わたしは、こんな表現のレンズは他に替えがたいと愛着を覚える人間ですが、中央の少女やお母さんなどがやはり何とも味のある描写をしていることにより注目したいと思います。
まさかシラミを取ってもらっていたわけではないと思うのですが、そうだと言われればシラミつぶしの母娘というタイトルでも納得できる描写だという風に見えてしまうのです。
ちなみにこの少女はこの表情が語るように外国人にも物怖じしない好奇心の塊で、この後わたしの行く先にずっと付いて来たのでした。
【Alpha7/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/16 Tue

老撾的民族

Zunow 3.5cmF1.7
タイ北部、ミャンマー東部、ベトナム北部、中国雲南省、貴州省と並んでラオスも少数民族のたいへんに多いところです。
いまあげた地域は山岳地帯が多く、交通の便は未だ良いとは言えない場所がかなりのパーセンテージを占めます。
例えばタイ人や漢族などマジョリティである支配民族に追われて、生活しやすいとは言えないものの危険に脅かされることのない山間の地域に住まざるを得なくなったマイノリティの歴史の悲愴を表しているのではないかと思ってしまいます。
交通が遮断されていたことによってさまざまな独自文化が生き残っているという皮肉も含めて、なぜにここの人々は斜面に家を建てたり、最寄りのバス停から2時間も歩くような辺鄙なところに住まざるを得なくなったのかと考えると、つらい気持ちになるのを抑えることができなくなります。

カームロイ君が連れて来てくれた村は、バン・ホーアイ・イエン村という名前だそうですが、ここもカム族という少数民族の村だと教えてもらいました。
実は、カームロイ君自身もカム族で、妹が村の近くの高校で寄宿生活しているのもそのことと関係あるのだと想像できます。
カム族は独自の言葉を持っているということでしたので、カム語というのか彼ら自身の言葉で会話すれば、初対面同士でも警戒心はすぐに解かれることでしょう。
わたしたちが村で歓迎された理由はそういうことだったのだと後で知りました。

ラオスのマジョリティは、ラオス人とかラオ族と呼ばれる人たちです。
民族分布などの確認を怠ってしまい、ラオ族とカム族の人口比や、民族同士の近親度合いはよく分かりませんし、わたしは会う人ごとにあなた何族と聞いて歩いていたわけではないので、偏った感想かも知れないことを恐れずにいうと、ラオ族は色白で中国人と区別がつかない人もいそうな印象で、カム族は総じて浅黒い人が多く、東南アジア的です。

盆地と言うか谷あいの狭いエリアに家が密集するような小さな村ですが、全体で30世帯以上あるとのことでしたので、人口は150人以上はいるということでしょうか。
子どもが5人いるとか、うちは7人だなどと会話したので、人口300人くらいと推計してもはずれではなさそうです。
村には小学校もあって、看板にフランス国旗のマークが付いていたので、旧宗主国が一定程度の補助をしたのだと思われます。
こういうケースでは授業でフランス語も勉強するのかも知れませんが、英語もフランス語も話す人はまったくいない様子でした。
民族的な対立は少なくとも表立ってはないと思いますが、ラオ族はヴィエンチャン周辺など平地に多く、カム族はルアンパバン周辺から北部の山岳地帯に多いという棲み分けになっているようでした。

そういえば、民族衣装と言うと語弊があるかもしれませんが、昨日や一昨日の作例の女性が履いているズボンは、あきらかに既製品とは違います。
もしかしたら、以前は上下ともにオリジナルの柄や刺繍の入ったカム族の衣装を着ていたが、グローバル化によって西洋式のシャツが当たり前になったものの、ズボンには辛うじてこだわりを残しているということかなあと思わせます。
そのことを質問せずに村を後にしたことがたいへん悔やまれました。

わたしは風景写真をあまり撮らない習慣になってしまっているので、いつも帰国後にしまった、村の全体像が分かるような写真を撮っておけばよかったと後悔することしばしばなのですが、今回は35mmレンズを久々に持参したせいか今日の作例のような村の建物が分かる写真も撮っていました。
作例ですぐに気付くようにこの村には比較的最近電気が敷かれたそうです。
川の水がありますし、山には泉も豊富だそうで水にも困っていないのが自慢のようでした。
冒頭に辺鄙なところに追い詰められてというようなことを書いてしまいましたが、意外とライフラインとかインフラなど一概にひどいといえないところも多いということのようです。
暑さを除くと、案外住みやすい村のように見えてきました。
【Alpha7/Zunow 3.5cmF1.7 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/15 Mon

越絞越黒

Zunow 3.5cmF1.7
あまり外国人がやって来ないような、写真に抵抗感が無いような村では、広角で被写体にぐっと寄るのが昔のわたしのスタイルです。
本当は昔からのスタイルですと書きたいところですが、今は、ほぼペッツバール一筋になりかけているので、遠目から被写体をそっと捉えるのが今のスタイルです、というのが正しいでしょう。
もしくは、声をかけてポートレイト風に撮るのがといえばよいか。
ルアンパバンの古い町並みを背景に現地の人の生活を写すというような目的で、今回は35mmレンズをお供にしていましたが、これが村では大いに役立ちました。

ライカでもノーファインダーは一般的な撮影法と言っても言い過ぎではないと思いますが、α7ではノーファインダーながら液晶をチラ見することで、フレーミングを完璧にすることができます。
そんな撮り方ならこういう村では、撮影されていることにほとんど誰も気付きません。
作例の手前の女の子はカメラを意識しているのではなく、突然現れた外国人に好奇心を寄せているだけです。
その他のふたりはもちろん、犬だって、わたしが撮影していることに気付かずにあらぬ方向を向いてしまっています。

この液晶チラ見ノーファインダーが正統派スナップがとても楽しいかと言えば、そこまでいかず、まあまあ楽しいがしばらくすると飽きるというくらいが本音です。
自然な姿を撮るのは面白いのですが、声掛けしたり、カメラを意識しているところでも、純粋な彼らは超然としていたり、逆にカメラを意識して固くなってしまったり、さまざまな表情を見ることになるので、それもまたよし、あるいはその方がコミュニケーションがあって楽しいと感じてしまいます。
どういうやり方でもよくて、好きなように試せばいいという程度のことですね。

使用したレンズはずいぶん久しぶりに引っ張り出したズノーの35mmF1.7でした。
フイルムでは何度か使いましたが、デジタルの35mmフルサイズで使うのは初めてで、まずこのレンズで撮ると4隅がケラレることを知りませんでした。
これも近距離では光量落ち程度であまり気にならなくなりますが、無限遠などではかなり目立つようです。
絞れば軽減されるのではと考えるのは浅はかで、作例はF5.6に絞っていますが、むしろかえって4隅の黒さが目立ってしまっています。

現行レンズでこんなにケラレてしまうようなら、ますば雑誌などでさんざん叩かれるでしょうし、売れなくなることは間違いありません。
しかし、1950年代はまだおおらかな時代で、暗いが全画面均等に写る広角と、とても明るいが周辺は使いものにならない広角があれば、後者を支持する人が多くいたということでしょう。
事実関係を調べていませんが、確か当時日本光学が世界最高速35mmとしてF1.8という高性能を出して話題になり、それをわずかでも上回ろうとしたのがズノーだったのではと記憶しています。
開放でのボケの豪快さもすごいですが、いくら明るいとはいえ、この写りで高価なレンズを買った人からクレームが来なかったのか気になります。

当たり前ですが、絞ればシャープで解像力もぐっと上がるようですが、それではわざわざこんな高速で高価なレンズを買う意味がありません。
ズノー光学と前身の帝国光学は、ズノー50mmF1.1初期型の通称ピンポン玉で、とても商品になるとは思えないような写りのレンズを世に出す前科がありますし、大博打と言われたズノー・カメラが大失敗で脆くも消滅してしまった光学メーカーです。
しかし、わたしは50mmF1.1の後期型を持っていますが、頼りなげな描写ながらも繊細で美しい表現をする魅力的レンズだと思っています。
現在になっても、一部の代わりろモノレンズファンにしかアピールしないレンズばかり世に問うてきたズノー光学を再評価したいのですが、何しろ手に入るレンズが少なすぎて広がりを見せることができないでいます。
【Alpha7/Zunow 3.5cmF1.7 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(2) | 2014/12/14 Sun

女性的円卓

Zunow 3.5cmF1.7
今日、開設したもののまったく使っていなかったフェイスブックにメッセージが届いていました。
開くとラオスからのようで、おっ、カームロイ君からかと思ったものの違っていて、誰から7日ちょっとピンと来ません。
内容を一読してみて、思い出したのが宿泊したホテルのレセプションをしていたアルバイトの大学生でした。
古民家を改築した小さなゲストハウスのようなホテルで、わたしはスーツケースのハンドルが壊れてしまったので、そのレセプションの青年に直してくれるカバン屋とか修理店のようなところはないかと聞いたところ、知らないが僕が直そうと買って出てくれました。
彼の奮闘努力も実らずハンドルは直りませんでしたが、30分以上も頑張ってくれたので少額のチップを渡してしばらく話し込んだのでした。

彼はこれから1時間かけて実家に帰るのだと言っていました。
タイミングが合えば連れて行ってもらいたかったなあと言うと、貧しい家だけど、次回ここに来た時はぜひ案内するからと言って彼は去って行きました。
その時わたしは彼にアドレスを渡していなかったように記憶していますが、彼はわたしの名前で検索してフェイスブックに辿り着いたのでしょう。
あなたがいなくなって1週間になり寂しい、またここへ来てください、わたしの家族もみなあなたを歓迎します、などという内容でした。

まったくどうでもよいことですが、フェイスブックでメッセージを返信したときに端の方に「知り合いかも」と何人かの顔写真と名前が出ています。
ラオス人とやり取りしたからなのでしょう、知り合いかもはことごとくラオス人でしたが、それがみな若い女性なのです。
しかも加工されているからか、みな美少女ばかり。
「友達になる」を片っ端からクリックしていきたくなってしまいました。
ラオスでの会員数を延ばすために、フェイスブックでサクラの女の子を集めたとかではないかとの疑惑も感じます。

閑話休題。
まだ午前中だというのに、現地のご馳走をいっぱい出され、次々と酒を飲まされして、このままではこの場でぶっ倒れるのではと、皆さんに断って少し散策することにしました。
どうも高床住居の2階は男性向け宴会場の趣で、下に降りてみると女性たちが食事の真っただ中でした。
米酒こそ飲んでませんが、中央にはラオス国産ビールのビア・ラオがどんと置かれ、いける女性はけっこういるようでした。
わたしは飲むとすぐに真っ赤っかになりますが、見ていた限りこちらの人はどんなに飲んでも顔色を変えませんので、どの人が飲んでというのがよく分かりません。

今日祝ってもらってる青年が若くして村を離れてしまうように、若い人はどんどんと出て行ってしまうのでしょう、この集まりの中にいるのは明らかに主婦っぽい人か小学生くらいの子どもしかいません。
カームロイ君やホテルの青年のように、地方からルアンパバンに来た大学生の多くは観光産業でアルバイトするパターンが多いようですので、書き入れ時の土日にはなかなか実家に戻れない実情も影響していると想像できます。
中国だと春節と呼ばれる正月にみな帰省しますが、ラオスではタイ同様の水かけ祭りのソンクラーンがお正月になるのだそうです。
だいたい5月がソンクラーンでその時期なら、帰省した学生などにも会えたことでしょう。

作例に写っている料理は絶品だったトリと野菜のスープです。
タイでもおなじみのステンレスのスプーンでいただきます。
いちばん手前のラーメンどんぶりのような入れ物に入って赤い液体は何だか想像つくでしょうか。
潰したブタの血の中に煮込んだ肉やモツなどを入れた、名前不明の食べ物です。
美味しいし体にいいから試してご覧と言われましたが、さすがにこれを食べるのは勇気がいりました。
ブタの血は生臭くないですが美味しいも感じられないやはり血は血であるという味わいで、毎週豚の脂の豚骨ラーメン食べているんだから血くらいどうってことないと言い聞かせながらどうやら食することができました。
ラオスには爬虫類や昆虫なども食べるのがそれほど珍しいことでは無いようなのですが、幸いそれが出で来ることはなく、全般に美味しいものばかりだったのは幸運だったと思っています。
【Alpha7/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/13 Sat
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